ジェーン・バーキンについて調べていたら、彼女のことではなくて、エディット・ピアフの驚きのエピソードを見つけましたので、ご紹介します。

 

 

1962年10月、フォンテーヌ劇場で Raymond Devos(コメディアン)の芸歴40周年のフェスティバルがあって、ミュージック・ホールのスターたちが集まりました。出演者が一同に集まり、それぞれの楽器でセッションがあり、クロード・ヌガロがパーカッション、ギ・ベアールがアコースティックギター、そして、セルジュ・ゲンズブールは、エレキギターを弾きました。

客席には、映画監督のジャック・タチ、ジュリエット・グレコ、そして、テオ・サラポを伴ってエディット・ピアフがいました。

 

舞台のゲンズブールは、テオとピアフの声は聞こえませんでしたが、以下のように話していると思えたそうです。

ピアフ: ギターのあの子は誰?

テオ : あれは、ゲンズブール。

ピアフ :  意地が悪いと聞いてるけど、優しそうじゃない。

     ここへ呼んで来て。

 

ゲンズブールがエディット・ピアフのもとに行き、握手したところ、彼女の手は多発性関節炎でボロボロだったそうです。その場でピアフの自宅に来るよう言われ、約束をしました。

彼女のアパルトマンへ行くと、空っぽでした。ピアフは、家具が嫌いなようでした。彼女は、ゲンズブールに歌を作って欲しいと依頼しました。

 

その少し後でピアフは亡くなってしまいました。

もし、ピアフがあともう少し生きていれば、ゲンズブールの作ったシャンソンを歌っていたかもせん。

 

蛇足ですが、それから何年かして、ピアフのアパルトマンは、イギリス人が持ち主となり、英国からパリでファッション・デザイン、歯科衛生士やフランス語の勉強をするお金持ちのお嬢様の寄宿舎として利用されていたそうです。

そこに、ジェーン・バーキンが一時住んでいたという偶然がありました。

 

出典:Gilles Verlant "Gainsbourg" Albin Michel