7月になると、東京をはじめ全国各地でパリ祭が行われます。「パリ祭」という呼び名は、ルネ・クレールの映画の邦題から名付けられたと言われておりますが、実は、そればかりではないと、私は思います。

 

 

というのは、映画 " Quatorze Juillet "(7月14日、つまり革命記念日のこと)を「パリ祭」としたのは、フランス各地で記念祭が行われていた(いる)ことから、意図した誤訳だ(わかっていながら、わざとやっている)と言えるのですが、ことシャンソンに関しては、パリと切り離して考えられないからです。

 

高木東六は、こう言っています。

「シャンソンとは、こんなパリの中から止むに止まれずに必然的に咲き出した赤や青の色とりどりの可愛いらしい花であろう。」(高木東六・著「CHANSON」修道社)

 

どういうことかと言うと...

シャンソンは、パリ以外の場所では出来ないもの。つまり、パリの庶民の生活から発生するものであり、喜びや嘆きや皮肉や切なさなど、人間感情のあらゆるものを歌い込むことができるのは、パリに住む小粋な人々のみであって、他の都市の人々がいくら物まねしようとしても到底できない独自性を持っているという意味です。

 

その流れで考えれば、シャンソン・ド・パリという言葉があるわけで、「パリ祭」という呼び名もシャンソンの祭典としては相応しいと思えてきます。

 

 

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