レ・ミゼラブルの英語ヴァージョンがロンドンのウエストエンドでヒットして、それがブロードウェイに飛び火して、日本でも日本語ヴァージョンで上演されています。舞台だけにとどまらず、2012年に英米合作のミュージカル映画にもなりました。

 

 

自国の文豪・ヴィクトル・ユーゴの作品が世界的に普及したのだから、フランス人はさぞ喜ばしく誇らしく思っていることだろう、なんて思うのは、日本的発想に過ぎません。

 

日本人は、日本語のことをマイナー言語だと認識していて、例えば村上春樹の小説がメジャーな英語に訳されて世界中に紹介されることを素晴らしいことだと思います。

ところが、フランス人は、フランス語のことをメジャー言語、あるいは嘗てのメジャー言語だったと思っていて、世界中でフランス語を読み書き話す機会が減っていることに危機感を覚えているのです。この点が、英語ヴァージョンに何の抵抗もない日本人と決定的に違います。

 

だから、ヴィクトル・ユーゴのレミゼラブルというフランスのまさにオリジナル・コンテンツを英語で世界に流布されても素直に喜べない部分があります。

 

いやいやそんなことはない、ジャンマリの言うことなんて、フランスかぶれの戯言だ、フランス人も自国文化が世界に紹介されるのを喜んでいるはずだとおっしゃる方のために、フランスの最近の「アングリシスム」とラジオ局に課せられている「クォータ」について以下ご説明します。

 

今のフランスの若者は、英語を話すことに積極的で、フランス語で道順を尋ねても、相手が日本人とわかれば英語で説明してくれるケースが多いです。

彼らは、英語がそのまま、フランス語になった「フラングレ」と称される言葉もよく話します。たとえば、「マネージメント(management)」は、フランス語で「ジェスチョン(gestion)」なのですが、最近では英語をフランス語読みした「マナジュモン(management)」が好まれています。

フランスの文化相もフランス社会における「アングリシスム(英語化)」の浸透を警戒しています。

 

フランスでは、ラジオ局を対象にした「クォータ」という制度があります。仕組みは複雑ですが、大まかにいえば、民間ラジオ局については原則、1日の聴取者の多い時間帯(月~金は午前6時30分~午後10時30分)に流す音楽の少なくとも35%あるいは40%をフランス語の楽曲にすることが義務付けられています。一部のラジオ局にとっては、これを守るのが実はそう簡単ではないようです。というのも、フランスでも最近は英語の曲に人気があるからです。

 

このように、フランス国内でさえも、英語にフランス語が凌駕され始めている状況で、自国のオリジナル・コンテンツが英語で世界中に流布されるのを、喜ばしい、誇らしいと思えるわけがありません。

 

もし、日本のシャンソンのお店で、帝劇のレミゼラブル出演者が「もともとフランスでできたミュージカルなので、日本語でも英語でもなく、オリジナルのフランス語で歌います。」とやれば、フランス人がたまたまその場にいたら、きっと大変誇らしく涙して喜ぶことでしょう。