レオ・フェレは、リセ(高校)までは生まれ故郷のモナコで育ちましたが、バカロレアに合格してから法律を学ぶためにパリに移住しました。シアンスポで行政学を学んだのですが、同級生には後に大統領になる人物がいました。

それは、誰だったと思われますか?

 

 

それは、フランソワ・ミッテラン(François Mitterrand)でした。

レオ・フェレは、同級生だったのですが、それだけで、その後特に親交があったとか、選挙で応援したとかという話は聞いたことがありません。

レオ・フェレは、アナキスト(無政府主義者)を自任しており、野党(社会党)党首を経てやがて政治の中枢へ上りつめたミッテランとは相いれなかったのだと思われます。

レオ・フェレは、1968年の五月革命に触発されて、反体制的なシャンソンを作詞・作曲し、革命に参加した若者たちの圧倒的な支持を得ることになりました。

一方、ミッテランのシャンソンとの関わりは、レオ・フェレではなく、ダリダでした。ダリダは、ミッテランの議会生活25周年記念のために、彼の領地であるシャトー・シノンの舞台で歌いました。二人は友情を超えた特別な関係にあったと言われています。シャンソン側から見ると、大スターを政治利用されたということになります。