晩年のピアフに楽曲を提供したのは、シャルル・デュモン(Charles Dumont)でした。作詞家のミシェル・ヴォケール(Michel Vaucaire)と組んで名曲を書きました。

 私の神様(Mon Dieu)もその一つですが、このシャンソンについては、すんなり完成しませんでした。ピアフは、曲は気に入ったのですが、歌詞にクレームをつけました。

 

 
 ピアフが気に入らなかったのは、♬ Mon dieu, mon dieu, mon dieu ♪の箇所が、最初、♪ Toulon, Le Havre, Anvers ♫ となっていたことです。トゥーロン、ル・アーヴル、アンヴェールと言えば、フランスの港の名前です。つまり、港巡りの詩(うた)になっていたのです。これは、ピアフの趣味ではないと思います。
 
 アンリ・サルヴァドール(Henri Salvador)の歌に、La muraille de Chine というのがあって、ジャヴァ、フィリピン諸島、スマトラ、ボルネオ、セイロン、シンガポール、九州、サハリンと地名が出て来るのがあります。サルヴァドールだからこそ、島めぐりの歌が相応しいのであって、ピアフには、紀行(旅の)歌は、似合いません。
 
 ピアフは、ミシェル・ヴォケールに対し、「明日までに歌詞を書き直さないと、作詞家を交代してもらう。」と厳しい調子で言いました。それで、ヴォケールは、必死になって別の歌詞を書こうとします。夜も寝ずに書いていました。
 すると、独り言で、
 Ah, mon dieu ! Laissez-moi encore un jour.
 あぁ、なんてことだ。もう一日あれば。
   と言っていました。
ヴォケールは、その時に、閃いたのです。
 Mon dieu, mon dieu, mon dieu ! Laissez-le moi encore un peu à moi !
 神様、彼をもう少しだけ私のもとに残してください!
 
 そして、もちろん、ヴォケールは、ピアフとマルセル・セルダンの恋愛について熟知していましたので、航空事故の後のピアフの気持ちを想像して、どんどん歌詞を書き足し、一晩で完成させます。
 ですから、このシャンソンは、ピアフの作詞家に対するクレームとプレッシャーが創り出したと言っても過言ではないと思います。
 
 

 

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