7月10日の「歌のないシャンソンライヴ」で、ボリス・ヴィアン(Boris Vian)の Le Deserteur が演目に入っています。

   この歌について、フランス語的考察をしてみます。

 

 

 シャンソンのお店では、「脱走兵」というタイトルで歌われることが多いのですが、徴兵の令状をもらって入隊する前に逃げる話なので、脱走兵というのは、しっくりきません。敢えて言うなら、「脱走者」が正しい翻訳だと思います。

 

 それから、「大統領閣下」で歌い始める日本語詞が多いのですが、これもかなり違和感があります。

「大統領閣下」というのは、外交用語です。マクロン大統領を例にフランス語で言えば、

Son Excellence (Monsieur) Emmanuel Jean-Michel Frédéric Macron président de la République française

となり、「閣下」とするには、Son Excellence が必須です。

原詞では、Monsieur le président だけなので、「大統領殿」が正しい翻訳です。

外交文書に接したことのある私にとしては、かなり違和感があります。

 

沢田研二ヴァージョンで「見知らぬ国からこの世の果てまで」となっているところは、ちょっと大袈裟です。

原詞では、De Bretagne en Provence(ブルターニュからプロヴァンスまで)

となっています。つまり、フランスの国の端から端までというイメージです。

 

 

 

また、矢田部道一さんの作詞では、

「武器を持たない 男はすべて 祖国のために ならないからと」

となっています。

 

 

この部分は、原詞では、

Prévenez vos gendarmes

あなたの憲兵に通知してください
Que je n'aurai pas d'armes

僕が武器を持っていないと
Et qu'ils pourront tirer.

そして、僕を撃ってもよいと

となっています。

この部分は、普通なら、「武器を持っていないから撃たないで捕まえろ」と言うところを「撃ってもよい」と書くところがボリス・ヴィアンのエスプリなのです。つまり、「武器を持っていないと伝えれば、憲兵たちは撃ち返される(反撃される)ことがないので、安心して僕を撃ち殺せるでしょう。」ということで、その裏の意味は、「どうせ、あなたたちは、武器を持たない市民であっても、戦争に行けとの命令に従わない(不服従)なら、国家の威信にかけて撃ち殺すんでしょ。」という皮肉なのです。

個人対国家、つまり「個人の心情」と「国家の規律」の対立構図を歌の世界で創り出して、聞いている人にどちらをどう思うのかと問いかけているのです。

こういうエスプリの効いた歌詞回しを日本語に訳するのは、大変難しいことです。