美波 さおりです!

これまでの自分のストーリーをWikipedia風に綴る

My Wikipedia』(これも流行らせ中✨)

で自己紹介をしていこうと思います。

 

 

 

美波 さおり(みなみさおり、1984年6月25日生まれ、現在39歳)

大阪市出身。大阪の山奥在住。

 

株式会社LUXE 代表取締役、一般社団法人国際アイデザイニング協会 代表理事を兼任。

 

Instagramスクール、Instagram・LINE運用・広告・インフルエンサーキャスティング

コンテンツ作成、仕組み作りを行なっている。


 人物 

家族

二人のこども(長女14歳、次女10歳)

 

身長

154cm

 

好きなたべもの

いちご、海老 、チーズケーキ

 

 

 

美波さおりのMy Wikipedia

①稼ぐ力を身につけた幼少期編

②20歳で起業!月収7桁の道のり編

③2社の設立!流行りを作り出す時代へ編

 

 

 

 来歴 

  ①稼ぐ力を身につけた幼少期

 

大阪市の繁華街で幼少期から中学2年生まで過ごす。

1階は祖母が経営するスナック、2階が住居。

4人兄弟の長女(幼少期は妹と2人)。

 

育ての親である祖母がお店に出る前に、着物やドレス、アクセサリーを一緒に選び

売り上げの計算をしたり、お客さんの話を聞くのが毎日の日課。

3歳でお店に出て、お客さんにお小遣いをもらうためにカラオケを歌う日々。

 

祖母に演劇鑑賞や美術館巡りに連れていってもらい、裁縫や料理など様々なことを教えてもらう。たくさんの経験から生き方や在り方について学ぶ。

 

両親は、「なんでも好きなことをやったらいい」というスタンスで、口出しもせず怒られたりした記憶はない。お小遣いや誕生日、クリスマスなどのイベント行事はなく基本放任。笑

遠足のお弁当を「忘れてた」と作ってもらえないこともあった。作ってもらえたと思ったら焼きそばだけがお弁当箱に入っていたり、お弁当の日が恐怖だった。笑

 

「なんでも自分でやらなきゃ!」と、この頃から思っていた。笑

 

 

当時はホームレスの町ということもあり幼少期に危険な体験も多々。

家の隣は試写室やキャバレー、裏はラブホやキャバクラ街。ヤクザ、ストーカー、泥棒がウロウロで警察が家の中にはいることは日常。

 

毎朝新聞をホームレスに取られずにポストから取ることが私の仕事で、殺人犯が家に逃げ込んだとニュースになったことも。

 

お客さんのカラオケの曲が子守唄の毎日・・・笑 

 


小学時代

 

「自分で稼げるように」と言われ、お小遣いはなかった。

お年玉でフリマで買った服や物を、別のフリマで高く売るという今でいう転売でお小遣いを稼ぐ。


中学時代

 

雑誌バージョンのSNSで人気の女の子モデルのファンサークルを作り、手作りの会報を送るという仕事を考え(そういえば今、娘も似たようなことしている笑)毎月数万円稼ぐ。笑

 

 

中学2年生

リーダー的存在の友達の誘いを断り怒らせ、

次の日からクラス全員から無視され家なき子並の激しいいじめにあう。先生も見て見ぬふり

 

学校だけがわたしの世界じゃないと思い

休まず行き続けたら

また友達ができて学校も楽しくなってきたころ

 

祖母の再婚、伯父がスナックをリニューアルするからと同居することになり

両親が田舎暮らしがしたいと引っ越しを決意!

中3で引っ越し、転校。

友達に恵まれて楽しく過ごす

 

 

高校時代

 

ギャルに目覚めてバイト代は全部洋服に。

ラーメン屋でバイトし、まかないが美味しくて急激に太りながらも楽しい学生時代を過ごす。

 

 

商品開発の授業がありマーケティングを学ぶ。市場調査や商品のプレゼンを学びマーケティングに興味をもつ。

 

流行っていたエステティシャンになりたいと思い、美容専門学校に入学。

 

 

専門学校時代

 

学生時代は勉強も運動も全くできないけど、友達に恵まれ学校が楽しくてずっと皆勤。

 

就職活動。

何社受けても全て1次面接で落ちる。クラスで私だけ就職できない事態に。

 

オープンキャンパスの実行委員をしていたこともあり「学校に就職しないか?」と、お誘いいただき卒業後は専門学校に就職し、いきなり『先生』になることに!

 

次回は、②20歳で起業!月収7桁の道のり編です