3月1日 葉山の真名瀬で夜釣り。


ワームを投げて釣れたメバルです。


風に吹かれて海の釣り












煮付け


風に吹かれて海の釣り


フォーリーブスの青山さん死去

1月29日8時0分配信 スポーツ報知


 1970年代に活躍した4人組アイドルグループ「フォーリーブス」の青山孝史さん(本名・城下孝行)が28日午前7時、肝臓がんのため都内の病院で亡くなった。57歳だった。昨年10月中旬にがんが見つかり、深刻な病状のまま公演活動を続け、10日のステージでも気丈な姿を見せていた。この日午後に急きょ、メンバー3人が都内で会見。江木俊夫(56)は「天国から歌ってくれ」と悔しさをにじませた。

 肝臓がんを患っていることを公表してから、わずか10日あまり、多くのファンに“ター坊”と愛されてきた青山さんは天国へと旅立った。

 この日午前2時、入院先の病院で体調が急変。家族が駆けつけたが、4時半ごろに吐血し、7時に妻・めぐみさんと小学4年生の長女(10)に見守られながら静かに息を引き取った。

 青山さんは昨年10月に肝臓がんが見つかり、闘病生活を余儀なくされ、それでもコンサートに出演し続け、亡くなる直前まで歌手としての人生を全うした。02年に「フォーリーブス」を再結成。現在、3月29日の東京厚生年金会館での公演まで1年限定で全国ツアーの真っ最中。青山さんが最後にステージに立ったのは今月10日。残すところあと3日間計6公演だけで、無念の急逝だった。

 19日には長女が10歳の誕生日を迎え、青山さんは一時帰宅。おすしやケーキなどを食べ、自宅で家族と幸せなひとときを過ごし、娘に「元気になったらハワイへ行こう」と話すなど、最後まで必死に生きようとしていた。

 残されたメンバー3人はこの日、青山さんの自宅で悲しみの対面をした後に、都内で会見。北公次(60)は「印象に残っているのは、楽屋で『俺、死んでも歌いたい』と言ったこと。それぐらい歌に命をかけていた」。江木は「まさかこんな急に…。『おいっ』という感じで話しかけたけど、口を利いてくれませんでした。足をもんだらまだ温かくて。足をもんであげて『起きろよ』って。再結成するとき、最初に青山に声をかけた。初めてステージに上がったときは震えた。素晴らしい姿が目に浮かぶ。伝説と言われたグループですから。これからも守っていきたい」と、目を真っ赤に染めた。

 68年にデビューし、メンバー4人の付き合いは40年を超える。「13歳からですから」と、北はその長さを振り返った。江木は「思い出す表情はあまりにありすぎて何も言えないけど、本当に最高の男でした」。おりも政夫(55)は「また生まれ変わるとしたら、ター坊とこの3人は会える気がする」。青山さんへの思いはわずかの時間で尽きることはない。

 ツアーの残りの公演は3人で回ることになるが、江木は「今日の今日で頭が真っ白だけど、3人で構成・企画を考えてやっていこうと思う。誰が欠けてもダメ。残されたコンサート、一生懸命頑張るから、天国から歌ってくれ、と」。青山さんのためにも、最後まで走り抜ける。

 ◆青山 孝史(あおやま・たかし)本名・城下孝行。1951年8月10日、佐賀県生まれ。67年に江木俊夫、おりも政夫、北公次とともに青山孝の芸名で「フォーリーブス」を結成し、翌68年「オリビアの調べ」でデビュー。愛称は「ター坊」。「地球はひとつ」「ブルドッグ」「急げ!若者」などがヒット。77年にタレント・島田純と結婚し、97年に一般人女性と再婚。78年に解散後は司会や俳優として活躍。2002年に青山孝史に改名し、「フォーリーブス」を再結成。


青山さんの仕事の手伝いをしたことがあります。
青山さんは私のような一般人にも礼儀正しく仕事ぶりは丁寧な方で、それでもおちゃめなところのある人でした。
ロケ先の旅館で一緒に麻雀で遊んだ時に青山さんの腕が積まれた牌山に当ってばららと崩れてしまい、あ~チョンボ!と思ったらロンですという明るい青山さんの笑顔。

天性の才能豊かな方を亡くしてしまいました。

ご冥福をお祈りいたします。

1月15日は我が家の名犬ジェロ君の誕生日です。

ミックスのオスで、満16才になりました。


視力と聴力は衰えていますが、散歩は元気に歩いて楽しそうです。

家のコタツのそばで寝てばかりいますが、時折ぬいぐるみの子犬をかんで遊びます。

こうして寝顔をみるとほんとにかわいい。

私の大事な跡とり息子。いつまでも元気でいて欲しい。


風に吹かれて海の釣り

好きなもの    鶏肉

嫌いなもの    酒

興奮すること   幼稚園のウサギ

辛いこと      おとうさんの添い寝、妹のわがまま。