3度目の模様替えと保護ネコさん | 三温糖のブログ

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夢への 道のり



昨日の保護ネコさん騒動の前に
昨日アップする予定だった記事です。



3度目の母の部屋の模様替えを先日しました。


今回の模様替えの目的は


歩行器で室内を歩く事


寝たきりから座位を保てるようになり


随分と座位も立位もしっかりとしてきました。


ポータブルを一人で使う筋力もついてきました。


次は歩行訓練に行ける段階だと思う。


現在歩行訓練は、週2の訪リハの時だけで、


それ以外は、透析治療のしんどさもあり


不整脈もあるから 動く気配がありません。


ディサービスをまた行きたいような話もする。





けど母が望むディサービスへ行くなら訓練が必要


車椅子が載せれる車は一台しか所有してないはず


そもそも移動をクリアしてもお風呂も困るし、


座位のまま数時間座っているのも今は辛いはず。


完全介護でベッドに寝かせてもらう姿で


ディサービスを利用するようになる事


それを母は理解していないから簡単に言ってる


のだろうと思う。


現実を知れば 母のプライドが許す訳が無い。






だから叩けるケツを叩く!


歩行器を使い室内を移動する為に 模様替え


歩け!と言っても目的が無ければ歩けないもの


ポータブルトイレをベッド横から移動しました、


食事を摂るテーブルを別にセットしました。


歩かないと食事もトイレも出来なくしました。


歩行器で安全に無理なく出来る形で作った。


まずは、この室内の空間を自由に意思を持って


母が動く事が第一歩と目標設定しました。


そしてなるべく ベッドに入ってる時間を減らす。



「服着替えて!散歩行こうよ!」


「えっ!いきなり? ヤダ行かない」


「えっ!着替えるの面倒くさい?ならそのまま


でもいいよ!」


「寝間着で外に出れるわけ無いでしょ!」


「だよねー、どの服がいい?これが涼しいかも、」


「だから 行かない 面倒くさい」


「そこのファミマに行こうよ!何買う?」


「だから 行かないって…」


「えっ?やっぱりこれがいい?だと思った!


今日ね、外暑いよー!帽子も夏帽子降ろさんと


いけないね、取ってこようか?」


「……もう 何でもいいわ、その帽子でいい」


私の勝ち!って心の中でガッツポーズ\(//∇//)\





実は最近 母の意欲が低下していました。


低下するだろうと予想はしていたんです。


意欲低下の理由


3階の自宅の自室が無くなるから。


息子 僕の部屋を作る前に


母とは何度も話し合いをしました。


3階の自宅に帰れる方法はある


ばあちゃんの意欲 気持ち次第だよと、


けどもう3階には帰らないと決めるなら


ばあちゃんの自室を整理して部屋割りを変更して


僕の部屋を作るよ。


どうしたいのか?何度も何度も聞きましたが、


3階には帰らない ここが良い。


と母は答えていました。



でもね、理屈と感情は別物なんですよ。


私はそう思うから ばあちゃんの部屋を無くす


気はサラサラ無かったんです。


なのに何故再三話し合いをしたのか?


傷つくと分かっているのに自室を無くすと


言ったのか?


ばあちゃんに 自覚して欲しかったんです。


心の底にある 3階に帰りたい!役に立ちたい!


って強い気持ち 希望を。




首が良くなってストレスの吐け口は通販の買い物


元々昔から買い物依存気味の母でした。


その払いに私は四苦八苦してきました。


今も日に日にその回数は増え 次々と届く荷物


荷物の多さは 母のつらさの証です。


ただの代替え行為でしかありません。


叱って抑えつけるは簡単な事


でもそれじゃあ問題の根本は解決しない。


だから自覚させる必要があったんです。


だから ばあちゃんの意欲低下は想定済み


一度は看取りを覚悟した、母も死を覚悟した。


そこから奇跡的に回復した。


死を覚悟した人間が回復すれば誰よりも本人が


戸惑い どうすれば良いかわからなくなる。


当たり前の感情 当然の戸惑いだけど


戸惑う期間はもう過ぎた、立ち上がる時だよ。





母のお世話にきてくれるおばちゃんが3階に母の


荷物を取りに来て 部屋の変わりようを母に話す。


「別の家みたいだよ!僕君の部屋も良くなって」


とかとか話して聞かしてた。


「そうかぁ、私は見たくても見れないし、もう


3階には居場所無いしね」って母が言った。


このタイミングを待ってた。


3階の模様替えの様子は、写真や動画にしてある


それを見せれるタイミングになった。


その翌々日母と話し合いをしました。


見てここは、ばあちゃんの部屋だよ。


私は ばあちゃんを3階に連れて帰る事を


諦めていないよ、ばあちゃんの気持ちは尊重する


けどいつでも 帰りたい そうばあちゃんが


思った時 帰って来る場所はちゃんと作ってある。


元が僕の部屋だった場所 リビングにも台所にも


近く 必ず家族が集う場所


そこに ばあちゃんの部屋は作ってある。


ばあちゃんが居ない間は旦那さんの遊び部屋に


してるけどね、ここは ばあちゃんの部屋だよ。



だから 歩いてみよう!諦めたら駄目だよ!


無理は承知だよ、今まで以上に身体が動かない


しんどい 自信なんてサラッサラ無い


もう良い これ以上頑張りたく無い気持ち


も分かっているよ。でも本当にそれで良いの?


3階に帰れないとしても せめて車に乗れる


ようになろうよ!車にさえ乗れるようになったら


買い物だって連れて行ける 花だって見せてやれる


何処にだって行けるんだよ。 


ばあちゃんの気持ちを尊重する事と


私の気持ちは別ものだよ、私は絶対に諦めんよ。


だって ばあちゃん全然楽しそうじゃない。


生きてるんだよ、嫌でも生きてる、なら楽しもう?


そうゆうわがまま ならいくらでも言っていい


誰に迷惑とか この身体でとか 関係無しに


わがまま言っていいんだよ。


あなたの娘は、強引で無理難題をいつも言う


傍迷惑な自己満足ヤローです、知ってるよね?


それが我が娘だ!諦めてね。


と母に宣言して さっさと部屋の模様替えをして、


半ば無理矢理車椅子に乗せて散歩に行きました。



首の骨を折ってから10ヶ月ぶりの自由な外出


誰に気兼ねしなくてもいい自由


車からでない外の景色 


車では感じれない 気温や風を体感する。


そして10ヶ月ぶりの買い物


人間ね、自分の目で見て選び欲しいものを買う


ただそれだけ それだけのことすら出来ない


ストレスは凄いものだと私は思う。


最初に連れ出すなら近くのコンビニにと


思っていました。


コンビニ近くには 花が沢山植えてあります。


コンビニのつもりが最初は文句を言ってたのが


景色を見て 風を感じて 花を見て喜ぶ


「こんな花だったんだ○○かなぁ?車からは


良く見えなかった 可愛い花だなぁ」


「そうなんだ!花に興味の無い人間に花の名前を


聞かないでよ!」


「お前に言った私が馬鹿だった」


などなど母の気分が明らかに良さそうで


コンビニのつもりで コンビニまで行ったけど


これで帰るのは何かもったいなくて、


よし!せっかくだ、もう少し先のスーパーに


しよう!天気も凄く良い 気持ち良かろう?


って スーパーまで行ってきました。


道中行きと帰り違う道を通って変わった景色や


変わらない景色の話などをいっぱいしました。


スーパーでは、楽しそうに、


果物とか、甘味を色々選び購入しました。


果物も甘味も病気には良くない、


けど久しぶりに自分の目で見て触って選び買う


それがどんなに大切か嬉しいか分かるから


私は、何も言わない。




どんな薬もどんな治療も療法も意欲は生まないし


無くした意欲を治せない。


模様替えだけでなく無理矢理外に連れ出した理由


ばあちゃんの体調があまり良くなくて透析時間


が増え更に身体にかかる負担が増えた事を懸念して


訪問診療の医師や訪問看護師さんが、


ばあちゃんの食事見直しを厳しくする気配がある


からです。


死を覚悟した人間が回復し戸惑った。


動かない身体を抱え 尊厳を踏み躙られる事もある


慢性的な痛みに苦しみ それでもなお


生きてて 回復して 良かった。


そう思えるようになるには 何が必要なのか?


何が家族として出来るのか?


時間が必要です。希望が必要です。


少しずつ 少しずつ体感する


家族と一緒に過ごす事 一緒にご飯を食べる事


食べる事ぐらいしか楽しみも気を紛らす方法も


無い状態では 食べたいものを食べる事だけが


生きてて良かったと思える瞬間だと私は思う。


だから回復当初は医師や看護師さんに何を言わ


れても私の優先は母の心のケアが優先だったから


好きに食べさせていました。


叱りはするけど それ以上はしなかった。


食事をこれ以上制限するなら まずする事がある。


母が気を紛らす何かを先に見つけ体験させてから


だと私は思ったから そろそろ本格的に煩く


なりそうで母の気持ちが閉じてしまいそうだと


思ったから 無理矢理連れ出したんです。


私はいつも突然に思い付きで行動する。


そう聞くとフットワークが軽いように聞こえる


けど実際私はかなり腰が重い。


私が突然動く時は 頭の中の沢山の情報や状況が


カチッとハマった時 だから私的には突然じゃない


思い付きでも無い 頭の中に無数にあるやり方の


一つをしてるだけです。




散歩から帰って 


食事のテーブルで一瞬に昼ご飯を食べる。


特別にスーパーで母が買ったスイカも出す。


午後からは、訪看さん、訪リハさんが来ました。


訪看さんにも、リハさんにも 次のステップに


リハビリを進めるとは伝えてありました。


いつも以上にお喋りな母の声が聞こえてきました、


同じ話を看護師さんやリハさんで足らず


ディのお友達や支援の人に電話して喋ってる。


娘が歩け!って言う 3階に帰ってこいって言う


キツい娘で無茶苦茶な事ばっかり言うよ!


行か無い!って言ってるのに散歩に連れて


いかれた!久しぶりにスーパーに行ったよ!


知ってるあのスーパーの……………etc


その言葉とは裏腹に声は嬉しそうだ。




良かった…間に合いそうだ。


母の声を聞きながらホッとしました。


今回の私の行動にはかなり色々な理由がある。


介護される者 介護する者 それを支援する者


それぞれが上手く噛み合わない状況だから


先回りして環境を整える必要に迫られた事も


その一つとしてあります。


長年の付き合いの訪看さん


ここ迄長く今まで訪問で看護して貰った事が


無かったから長年の付き合いながら、


今まで気がつかなかった。


最初はコロナ禍だからだと思ったから


微かな違和感はあったけど気にしてなかった。


決定的に私や母の信頼を裏切る行動が去年あった


それ以来 私は訪看さんとまともに話さない。


母は不信感 傷ついた気持ちを飲み込んでる。


一度崩れた信頼関係は、


介護なら尚更元には戻らないと私は思う。


その話は、今度話し合いがあるのでその話と


一緒にまたいつか書き綴ります。




今日のトラ君(^^)


保護ネコさん トラ君と名前が決まりました。




この記事は、少しずつ書き綴り昨日アップしよう


とした記事でした。


長らく介護をして 私が大切にしてきたのは意欲


意欲は希望から生まれる。


そう確信して迷わないようにしてる。


けどいつも自問自答する


本当に意欲が必要?希望が必要?


それを目指すと母は苦しいのじゃ無かろうか。


ひとりよがりの考えで苦しめてるのじゃ


無かろうか。本当に今それが必要か否か……。


母が母らしく最後を迎えるとは何だ?


もう何年も10年以上 日々いつも自問自答する。


今回 母から意欲を引き出そうと


希望になるものを探しました。


母の状況 心情を想像して考え


予定し段階を少しずつ作っていました。


道筋を立て このタイミングだと一気に動き


諸々設定した その矢先


トラ君が私の目の前に現れた。


3階に帰る希望はあまりにも長い道のりです。


それを助ける何かが必要だった。


歩こう!動こう!生きよう!その原動力




この小さな命を守ろうと母は頑張る。


自分で出来る事を出来るように環境を整えて


やれば 母は自然にします。


以前老犬の介護をする為に動いたように。


人は自分の存在理由を必要とするものです。


介護されていても 自分で無ければならない


そんな理由が必要となるものです。


3階にいるシマやチーの存在 僕の存在 


とはまた違うの存在にトラ君はなります。




誰に強いられるのでも無く 自主的に動く理由


楽しい 必要 そこに使命感が加わる


自主的に動くリハビリは、


劣等感もストレスも無いリハビリとなります。


その先に 家族の集う自宅への帰宅がある。


夢で終わるかもしれない けど目指す日々は


母にとって私達家族にとって楽しい日々となる


だろうと思います。



トラ君は、我が家に来るべくして


来た子だろうなぁと私は思っています。