児童発達支援事業所 | 三温糖のブログ

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夢への 道のり


6年間通った児童支援事業所の小学生の部

息子 僕 卒業しましたよ。

今後は、月一くらいの利用になる予定で、

療育目的としてより、相談が主になります。


僕は、この支援事業所の一期生です。

まだ開所する前に利用をスタートしました。

代表の方は、長らく市の管轄する施設で、

未就園児の児童支援をなさっておられました。

NPO法人を立ち上げ 独立なさるタイミングで、

私は、心理センターの教授より紹介頂きました。


発達障害児童の療育は、未就園児が中心で、

就学後は殆ど無く、放課後ディも出来始めの頃で

市内に2軒あれど、療育色は薄く私は、僕の療育

の先生を探し求めていました。

代表の方の名前を私は、知っていました。

とても優秀な先生で、療育方法は多岐に渡ると、

でもね未就園児のみだったのです。

新しく立ち上げた児童支援事業所も未就園児のみ

と聞いていました。

でも、私は、どうしても この先生に僕を療育

して頂きたかった…だから面接を希望して

産まれてからの6歳迄の経緯を手紙にまとめて

面接に伺いました。

このブログの最初の頃に書かれている僕の

〜歳までの僕の記事は、その手紙の下書きです。


代表の先生は、手紙を読んでくださり、

「大変だったね、良く来てくれましたね。」と。

【放課後ディサービス】で支援出来る方法を探す。

そう仰って下さり 放課後ディサービスを開始する

準備に入られました。

本当は、2、3年基盤を作ってから開始なさる予定

だったのを、僕を受け入れるには、その方法しか

無い、小学校入学を支えたいと、児童支援事業と

平行して相談事業 訪問事業 放課後ディサービス

を開設なさいました。

だから僕は、一期生なのです。


僕は、この児童支援事業所が中心となり、

6年間の小学校生活を支えていただきました。

僕が不登校になった朝 私が最初に助けを求めた

のは、この先生だった。先生は、

「すぐ伺います!学校には行かさないで!」と、

すぐ自宅まで来て下さった先生は、

僕を抱きしめ「良く頑張ったね、もう頑張らなく

て良いからね、少し休憩しようね。」と。

不登校の期間 支援の仕方を一緒に考えて下さり

僕が回復する事を優先されました。

不登校時は、1日おきに半日通ってしました。

その期間 集中的な療育をなさっておられた。

当時通っていた市内の別の放課後ディにも先生は、

僕の様子を何度か見に行っておられ、

別の放課後ディに変更してからも何度も僕の様子

を見に行っておられた。

僕に関わる支援の方々と先生は、密に連携を

取って総合的なチームを作られた。その上で

小学校とのケース会議の重要性を強く訴えられた。

ケース会議しなければ再登校は無理だと、

渋る小学校を説き伏せ ケース会議を開いた。

支援級の担任の先生 校長先生 教頭先生へ、

「発達障害を理解して下さい!学んで下さい!

発達に延滞のある子に【普通】を押し付け無いで

下さい!【社会に出たら…】なんて考えを

僕に押し付けても まだ理解出来ません!

多種多様の過敏や衝動性を抑えるので精一杯の子

に、何でそんな事を押し付けるのですか?

学校が安心出来る場所で無くなったから不登校に

なったのです!まずは、安心 安全な場所だと、

僕が納得するように環境を整えて下さい!

支援級のクラスを僕の安全基地にしてください」

と仰った。

学校と密に連携を取って下さり、僕の特性を

一つ一つ詳しく説明なさり、理解を求めた

場面 場面の学校の対応を細かく指導なさって

学校へも何度も足を運び 支援級のクラスの

部屋作りからなさっておられた。

学校側が聞く姿勢を取って下さったのもあり、

不登校時から再登校まで 私の知らない所で、

細かく密に連携して下さり、学校での僕の様子を

何度も何度も見に行っておられた。

三年生迄は、年2回ケース会議を開いていました。

その後も僕が躓く度に支援して下さいました。

だから僕は、立ち直る事が出来たと思う。


素晴らしい先生で、事業所も人気が高く直ぐに、

満員になってしまって、親の会でも、

「○○○に行きたいけどいっぱいで…」と、

「○○先生に指導して欲しい!」と、

困っておられる親御さんの声を良く聞いてたから、

僕が回復して、少し安心出来るようになった頃

私は、僕よりも先生を必要とする児童は沢山いる

と思いやめようと思い そう申し出ました。

先生は、「お母さん そんな事は考え無いで欲しい

僕より必要って 僕も必要でしょう?

側から見たら僕は、軽度に見えるかも知れない

けど軽度でない事を、私達は知ってるでしょう?

どれだけの努力を重ねたか、私は、知ってる、

僕の努力でそう見えているだけで まだまだ療育

は、必要ですよ。だからやめないで欲しい」

そう仰ってくださいました。

だからお言葉に甘えて継続させて頂いています。



卒業祝いだと、

僕の好きな苺を沢山使ってホットケーキを作って

みんなで食べました。

他の職員の方々と写真を撮ってお祝いを頂いた。

最初の写真のお花とタオルとハンカチ

まだ小さかった頃の事業所での僕の写真を

見せて頂き 「大きくなったねー!お兄さんに

なったねー!凄く成長したよねー!」って

机も小さな机から高さの高い机へ変化した、

最初は、椅子に座ってるだけでしんどくて、

衝動性も抑えられなくて 涙もいっぱい流した僕

初めてのWISCもここでして頂いた。

まだ病院で受けれる状態じゃないと先生は判断

なさってだったけど その判断は正しかった。

僕は、緊張し過ぎて トイレを失敗してしまって、

お風呂を貸して頂いて 着替えを慌てて買いに行き

度々中断して休憩しながらしてくださって

その為 検査終了まで5時間かかった。

その5時間の間先生は、ずっと僕に寄り添って

下さいました、大丈夫 大丈夫 良く頑張ったね

そう最後まで優しくしてくださいました。

まだまだ最初の頃の僕の顔は、不安そうで、

神経質そうな顔 そうだったなぁと思い出して

小学校の卒業式では、涙なんて出なかったのに、

ここ事業所では、涙が出て困ってしまいました。

6年間暖かく支えて頂いた あれこれ思い出して、

代表の先生だけじゃない、他の先生方にも

ずーっと支えて頂きました。

そんな場所だから、僕がポツりと、

「中学校で また行けなくなるのが怖い」

「先生 僕行けるかなぁ?大丈夫かなぁ?」と。

そんな本心がポロッと言える。

先生は、「大丈夫!もしまた頑張り過ぎそうに

なったら先生が止めるから 大丈夫だよ!」

「中学校の先生達ともちゃんと話し合うからね!」

そう言われて僕は、安心した顔をしていました。


僕の発達の土台は、6年間の療育のおかげで

ほぼ整ったと思います。

これからは、土台の上の成長を促します。

けど不登校は、再発率も高いのも確かな事。

だから そうならないように、中学校と連携する。

月一くらいしか通えなくなるけど、

僕の状態は、細かく連絡を密にしていきます。

中学校との連携には、この事業所 先生が必要

1学期中学校のやり方 先生方の対応の仕方を見て

僕の様子を記録して報告する。

その報告や僕の状態を見て支援の先生方が

学校へ求める要望をまとめる。

心理センターからの意見書と児童支援事業所の

先生の意見を合わせて ケアマネに調整して頂き

秋を目処に中学校でのケース会議を予定してます。


ひとまず 今までのような療育は卒業です。

6年間僕は素晴らしい指導者に育てて頂きました、

心より深く感謝しております。

今後また違う指導が必要かと思いますが、

先生達となら きっとどんな困難も乗り越えて

行けるように私は思います(*≧∀≦*)


発達障害児童親子に必要なのは、良き指導者だと

私は思います。