純情の心境とは赤子のような無邪気な心である

 

純情とは、素直で邪気のない心のことである。

子供のような無邪気な心ともいえる。

子供は常に自分の心を素直に表現している。

やりたいことをやりたいときにして、

無我夢中でそのことを実践している。

そして、心の底から愉しんでいる。

大人は人生を何十年とやって来るうちに、

その心持ちをすっかり忘れて

自分の心に正直に生きていない。

世間の常識、社会の常識そんなものに捕らわれて、

自縄自縛の人生を送っている方々の何と多いことか!

それでは自分が可哀そうだとは思わないか?

今こそ、自分の本質に立ち還り、

本当の自分の人生を生きてみたいとは思わないか?

もっと楽に、もっと愉しく、

限りあるこの地球という大舞台を

本質の自分自身と一体となって、

飛翔してゆこうではないか。

 

純情とはゼロポイントである。

無であり有である。

有を含んだ絶対的なる無である。

そこからすべてが創造されるポイントである。

陰と陽の統合である。

静と動の統合である。

水と火の統合である。

赤子のような無邪気な心で

本質の自分自身の声に従って生きようではないか。

地球という舞台で自らの物語を主人公となって

ハッピーエンドへと導いてゆくことは

自分自身にしかできないのである。

心の持ち方によって自分自身で物語を

いかようにも変えてゆくことができるのである。

 

それには純情さ、純真さを

自らの心にとり戻すことが第一である。

生まれる前のゼロポイントに立ち戻ろうではないか。

人間は創造主に似せて創られたというが、

人間は正に自分自身の人生を創造できる創造主であるのだ。

それを生まれた時に忘れるように

組み込まれているだけなのだ。

ならば、憶いだせば良いだけである。

憶いだせ。億いだせ。億いだせ。

本来の自分を。

本質の自分を。

空なる自分を。

無なる自分を。

人間は本来、自由自在の自由人なのである。

一人一人が夢を叶えてよいのである。

一人一人が自由に融通無碍に自分自身の物語を

創造できる存在なのである。

自縄自縛の鎖をとけ。

本当の純情な心の持ち主となって

人生を自由自在に生き抜け。

皆さまにはそれができます。

私はそう信じています。

以上です。