何故生きるのか?

生まれた意味などない。

生まれた理由もない。

人生に意味などなく、

生きる意味も本来はない。

しかし人は目的を探し、

それを人生だと思い込もうとする。

だから苦悩し、だから傷つく。

野生の動物は、生きる目的を考えて生きているか?

草食動物はただ、肉食動物に食べられない様生きる事を望む。

肉食動物は、生きるために草食動物を狩る。

さて我々人間は何のために生きているのだろう?

種族繁栄、自己の欲求を果たすために生きるのか?

では欲求とは何であるか?

それこそ生きるエネルギーなのだ。

生きたいと思う欲求が、草食動物であれ、肉食動物であれ、

人間であれ、すべての生物が持つ最大の欲求なのだ。

では何のために生きているのか?

我々生物はすべて無より出でて、有に転じ、

そしてまた無に帰する。

つまり我々はすべてもともと名前もない無なのだ。

無より転じて、有となった時、

「生きたい」という欲求と

その生きるための目的を探す。

人生に生きる意味などない。

自分の中でそう思ってしまえばそれまでだ。

そして生きる意味を決めるのも自分。

これが目的と思えば、それが目的となる。

言い換えれば、目的は自分で自由に選べるのだ。

そこが野生動物と人間の大きな違いだ。

彼ら野生動物は持たない、自由に生きる権利。

これを無に帰するも、自己の欲求として満たすも、

それは己の器次第なのだ。

器は己の才覚で大きくもなり、小さくもなる。

才覚は人が決めるものではない。

自分の中にある自分をどれだけ見つけるかだろう。

それもまた生きる目的とすると、

楽しいかもしれない。