事務局WEB担当です。


発災から3日目の夜、ようやく横になることができた。

岩手県庁から福島県庁災害対策本部へ行くことになりました。


ようやく家族に連絡をし、福島行きを告げると、やはり原発問題を気にしていた。

被ばく医療にも精通した医師と一緒に行動していたため、ある程度の安全面の説明をし

少しは安心したようだ。「誰かが行かないといけないもんね。がんばって」という言葉で

後押ししてくれた。


福島県庁に到着後、水素爆発。

予想はしていたものの、まさか・・・・

傷病者の情報が錯綜し、あわただしく放射線医学研究所チームが、搬送のために準備にはいる。


医療調整はあまり機能しているとは言い難く、医療チーム、サーベイチームが入り乱れ、K医師が調整した。

わたしもできる限り、情報をとり、電子化してチームの一覧、緊急連絡体制を構築した。

膨大な作業をこなした疲労感と、爆発という言葉だけが恐怖を煽り、心身ともに限界が近かった。


2日間でサーベイチームの代表者、日赤、国立病院機構、福島県を交え活動調整を行い

医療調整本部としての機能が立ちあがてきた。

偶然、災害医療センターのサーベイチームがいたため、一緒に撤収してよいか、本部長に確認した。


志し半ばというところであったが、心身の疲労がピークであり、一旦撤収し、休養をとり、戻ってくることを告げた。

偶然にも他院の信頼できる調整員がいたので、安心して任せ、撤収することになった。


その後まさかの静岡での震度6強・・・・

完全に心が折れた感じがした。

車で移動中、幸い大きな被害はないとすぐに情報があり、安堵感で携帯を持ったまま寝てしまった。


ホテルにつき、災害用ユニフォームをみて、ふと隊員証に目がいった。

隊員証、初めてじっくり見たかもしれない。

隊員証を取り出し、業務調整員とかかれた、いたって普通のプラスチックの隊員証。

普段は、財布の中にいれてあるだけだが、この未曽有の大災害での活動を思い出しながら

この隊員証を持つことの重責を初めて感じた。


必ず戻ろう。まだまだ自分の仕事はあるはずだ。

そう心に決め、気がついたら眠って朝を迎えた。