エゼキエルは捕囚の地で、主から使命を授かった。

ぼう然と過ごした七日間の後、

再び主の言葉がエゼキエルに臨んだ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
七日の後、主の言葉がわたしに臨んだ。

「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの家の見張りとする。
 わたしの口から言葉を聞くなら、あなたはわたしに代わって
 彼らに警告せねばならない。

 わたしが悪人に向かって、『お前は必ず死ぬ』と言うとき、
 もしあなたがその悪人に警告して、
 悪人が悪の道から離れて命を得るように諭さないなら、
 悪人は自分の罪のゆえに死ぬが、彼の死の責任をあなたに問う。

 しかし、あなたが悪人に警告したのに、
 悪人が自分の悪と悪の道から立ち帰らなかった場合には、
 彼は自分の罪のゆえに死に、あなたは自分の命を救う。

 また、正しい人が自分の正しい生き方を離れて不正を行うなら、
 わたしは彼をつまずかせ、彼は死ぬ。
 あなたが彼に警告しなかったので、彼は自分の過ちのゆえに死ぬ。
 彼がなしてきた正しい生き方は覚えられない。
 また彼の死の責任をわたしはあなたに問う。

 しかし、あなたが正しい人に過ちを犯さないように警告し、
 彼が過ちを犯さなければ、彼は警告を受け入れたのだから命を得、
 あなたも自分の命を救う。」

   エゼキエル書3:16-21
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


人にはそれぞれに役割というものがある。

エゼキエルが課せられた役割は、「イスラエルの家の見張り」。

彼に期待されたのは、「警告」することだった。
悪人に対しても、正しい人に対しても。

相手がそれを受け入れるかどうかまでは責任が課せられていなかった。

エゼキエルが警告したのにもかかわらず、相手が聞き入れずに滅んでも、
エゼキエルは救われることになっていた。

しかし、警告せずに相手が死んだ場合、
その死の責任はエゼキエルに問われることになっていた。
結果はどうであれ、まずは警告することが求められていたわけだ。


後世、使徒パウロはいくつかの役割を提示している。

「わたしたちは、与えられた恵みによって、
 それぞれ異なった賜物を持っていますから、
 預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、
 奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。
 また、教える人は教えに、
 勧める人は勧めに精を出しなさい。
 施しをする人は惜しまず施し、
 指導する人は熱心に指導し、
 慈善を行う人は快く行いなさい。」
                  (ローマの信徒への手紙12:6-8)

これは教会内の役割についてだが、与えられた才能に応じた
異なった役割があるのがわかる。

ここで求められるのは忠実さである。
それぞれが役割を果たすことで、全体に調和が生じる。


エゼキエルに課せられたのは預言する役割であった。


役割を果たさないことは他人にとっても自分にとっても不幸である。


あなたの社会における役割は一体何だろう?

あなたの責任は?


Nothing will be impossible for you!