人材は人財だ。

事業の成否は人材育成の如何によると言っても過言ではないだろう。

効果的な人材教育とは?

マルコ9章2節から7節を読んでみよう。

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六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、
高い山に登られた。

イエスの姿が彼らの目の前で変わり、
服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。
エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。

ペトロが口をはさんでイエスに言った。
「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。
 仮小屋を三つ建てましょう。
 一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」

ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。
弟子たちは非常に恐れていたのである。

すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。
「これはわたしの愛する子。これに聞け。」

  マルコによる福音書9:2-7
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イエスは高い山に登った。

ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴っていた。
この三人は十二人の中でも明らかに特別であった。(マルコ5:37、14:33参照)

これは登山である。
三人の弟子たちにとって、イエスと一緒に息を切らしながら、山頂をめざした
この時間は特別なものであったに違いない。

だが、特別なのは山登りだけではなかった。
弟子たちは山頂で更に強烈な体験をすることになる。

姿を変えたイエスがモーセとエリヤと語り合っているシーンを目撃したのだ。
これは、まさに頂上会談である。
モーセ、エリヤは言わすと知れた旧約聖書中の大ヒーロー達なのであった。

弟子たちは語る言葉を失った。
かろうじてペトロが意味不明なことを口走ったのみであった。

更には、雲の中からの声を耳にする。

彼ら三人にとって生涯忘れることのできない体験になったことだろう。

イエスがこの頂上会談に一人で臨まなかったのはなぜだろう?

彼の行動には常に教育的意図が含まれていたように思える。

ペトロ、ヤコブ、ヨハネが後々、指導的立場に立つことを
期待していたイエスは、いわば研修の一環として
彼らをこの場に同席させたのではなかろうか。

直に見て、聞いて、感じることの教育効果は絶大だ。

皆さんはどの社員と一緒に「山登り」をするのだろう?

誰を「頂上会談」に同席させるのだろう?

たとえ、その社員が素っ頓狂なことを言ったとしても気にすることはない。