イエスの言動は人間の常識をはるかに超えていた。
頭でっかちのタイプにはとうてい理解が及ばなかっただろう。
むしろ、もがきながらも必死に生きている人々の方が
イエスを身近に感じることができていたように思える。
今日はマルコ2章から。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、
家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、
戸口の辺りまですきまもないほどになった。
イエスが御言葉を語っておられると、
四人の男が中風の人を運んで来た。
しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、
イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、
病人の寝ている床をつり降ろした。
イエスはその人たちの信仰を見て、
中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。
ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。
「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。
神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」
イエスは、彼らが心の中で考えていることを、
御自分の霊の力ですぐに知って言われた。
「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。
中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、
『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」
そして、中風の人に言われた。
「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」
その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。
人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、
神を賛美した。
マルコによる福音書2:1-12
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスがカファルナウムという町のある家で
詰めかけた大勢の人々に神の言葉を語っていた。
聴衆の中には数人の律法学者が含まれていた。
そこに四人の男が病人を連れて来たが、戸口が人でいっぱいだったので、
屋根に穴を開けて、イエスのいる所へ病人をつり下ろした。
世の中、見た目で人を判断しがちだ。
ふざけた振る舞いをする者より、真面目そうな人が良い評価を受けやすい。
そういった意味では、ここにいた律法学者たちは、おそらく教養豊かで礼儀正しく
信頼されてしかるべきタイプであったことだろう。
おとなしく順番待ちができず、他人の家の屋根を勝手に破壊してまで
割り込みを強行したこの四人組などは、
白い目で見られるタイプということになる。
ところがイエスは違っていた。
イエスは四人組の信仰を見た。
確かに彼らは失礼な輩ではあるが、
中風の病人を床に載せてわざわざ運んで来るには大変な労力が必要だっただろう。
寝たきりの病人を屋根の上に上げるのにはチームワークが求められただろう。
途中で転がり落ちないように病人を天井からつり下げるのは細心の注意を要し、
筋力の限界を超えるような苦痛を経験したことだろう。
何が彼らにそのような行動を起こさせたのか?
彼らの病人に対する友情、愛情、
イエスなら何とかしてくれるはずだというイエスに対する強い信頼・・・。
おそらく天井に穴が開けられ、病人がつり下げられるという
奇異な光景を目にしながらも、四人の心にあるすべての尊いものを
イエスは一瞬にして理解したのだろう。
つり下ろされた中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と語りかけた。
それを耳にした律法学者たちはイエスに対する疑念を心に抱く。
「神を冒涜している」
イエスはまた一瞬にして彼らの心の中を読み取る。
「なぜ、そんな考えを心に抱くのか」
表面的には真面目な律法学者は心の中でイエスを疑い、
順番を守らず屋根を破壊した四人はイエスを信頼していた。
目に見えるものだけで判断すると評価を誤る。
あなたは普段、社員の何を見て評価しているだろうか?
リーダーとして、目には見えない人の心の中をしっかりと見抜き、
正しい判断を下せるようになりたいものである。
頭でっかちのタイプにはとうてい理解が及ばなかっただろう。
むしろ、もがきながらも必死に生きている人々の方が
イエスを身近に感じることができていたように思える。
今日はマルコ2章から。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、
家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、
戸口の辺りまですきまもないほどになった。
イエスが御言葉を語っておられると、
四人の男が中風の人を運んで来た。
しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、
イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、
病人の寝ている床をつり降ろした。
イエスはその人たちの信仰を見て、
中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。
ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。
「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。
神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」
イエスは、彼らが心の中で考えていることを、
御自分の霊の力ですぐに知って言われた。
「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。
中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、
『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」
そして、中風の人に言われた。
「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」
その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。
人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、
神を賛美した。
マルコによる福音書2:1-12
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イエスがカファルナウムという町のある家で
詰めかけた大勢の人々に神の言葉を語っていた。
聴衆の中には数人の律法学者が含まれていた。
そこに四人の男が病人を連れて来たが、戸口が人でいっぱいだったので、
屋根に穴を開けて、イエスのいる所へ病人をつり下ろした。
世の中、見た目で人を判断しがちだ。
ふざけた振る舞いをする者より、真面目そうな人が良い評価を受けやすい。
そういった意味では、ここにいた律法学者たちは、おそらく教養豊かで礼儀正しく
信頼されてしかるべきタイプであったことだろう。
おとなしく順番待ちができず、他人の家の屋根を勝手に破壊してまで
割り込みを強行したこの四人組などは、
白い目で見られるタイプということになる。
ところがイエスは違っていた。
イエスは四人組の信仰を見た。
確かに彼らは失礼な輩ではあるが、
中風の病人を床に載せてわざわざ運んで来るには大変な労力が必要だっただろう。
寝たきりの病人を屋根の上に上げるのにはチームワークが求められただろう。
途中で転がり落ちないように病人を天井からつり下げるのは細心の注意を要し、
筋力の限界を超えるような苦痛を経験したことだろう。
何が彼らにそのような行動を起こさせたのか?
彼らの病人に対する友情、愛情、
イエスなら何とかしてくれるはずだというイエスに対する強い信頼・・・。
おそらく天井に穴が開けられ、病人がつり下げられるという
奇異な光景を目にしながらも、四人の心にあるすべての尊いものを
イエスは一瞬にして理解したのだろう。
つり下ろされた中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と語りかけた。
それを耳にした律法学者たちはイエスに対する疑念を心に抱く。
「神を冒涜している」
イエスはまた一瞬にして彼らの心の中を読み取る。
「なぜ、そんな考えを心に抱くのか」
表面的には真面目な律法学者は心の中でイエスを疑い、
順番を守らず屋根を破壊した四人はイエスを信頼していた。
目に見えるものだけで判断すると評価を誤る。
あなたは普段、社員の何を見て評価しているだろうか?
リーダーとして、目には見えない人の心の中をしっかりと見抜き、
正しい判断を下せるようになりたいものである。