「神の言葉は生きている」(ヘブライ人への手紙4:12)
聖書の言葉には力がある。
現代に生きる我々の心にも訴えかけ、希望を与えてくれる。

今日もイエスの「山上の説教」から教えを授かろう。

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「求めなさい。そうすれば、与えられる。
 探しなさい。そうすれば、見つかる。
 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

 あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。

 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、
 自分の子供には良い物を与えることを知っている。
 まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。

 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。
 これこそ律法と預言者である。」

  マタイによる福音書7:7-12
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求めれば、与えられる。
探せば、見つかる。
門をたたけば、開かれる。
「だれでも」。

あまりにも有名なイエスの教えである。
希望にあふれた約束だ。

求める、探す、たたく、
皆、能動的な動詞だ。
活路は、自らアクションを起こす者に開かれるのだ。

子供がいる方は、想像してほしい。
自分の子供が「お父さん、パンちょうだい」と言ってきたらどうするか?
パンではなく、代わりに石を与えるだろうか?
「お父さん、魚が食べたい」と言ってきたら、代わりに蛇を出すだろうか?

ただの罪人にすぎない我々でさえ、自分の子供には良い物を与えるのだ。
ならば、天の父である神は、なおさら、求める者に良い物をくださるはずだ。

安心して求めよう。

あなたは、何を求め、何を探し、どの門をたたくのだろう?


さて、この教えの最後にイエスはこんな言葉を加えている。

「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、
 あなたがたも人にしなさい。」

とても重要な教えだ。
よく黄金律などと呼ばれたりする。
実践すれば、人生が変わるはずだ。

この言葉が「だから」で続いているのは、なぜか?
良く考えてみよう。