経営者は好むと好まざるとにかかわらず様々な人間関係の中に立たされる。
取引先、部下、顧客、同業者・・・。
取り組み方によっては損失にも利益にもつながるのが人間関係だ。

聖書は、ある意味、関係について教えてくれる本だ。
今日も「山上の説教」に耳を傾けてみよう。
イエスが、人間関係について語っている。

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「人を裁くな。
 あなたがたも裁かれないようにするためである。
 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。

 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、
 なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
 兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、
 どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。

 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。
 そうすれば、はっきり見えるようになって、
 兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。

 神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。
 それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」

  マタイによる福音書7:1-6
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「人を裁くな」。
イエスのアドバイスである。

人は他人を裁く裁きで自分も裁かれるのだ。

「自分の量る秤で量り与えられる」。

振り返れば、思い当たる事例があるのではないだろうか?

では、どのように他人に接すればよいのだろう?

イエスはこう言っている。

「まず自分の目から丸太を取り除け」。

どうも他人のあらが目についてしょうがない。
そんな時は、「自分の目に丸太がないか」よく考えてみよう。

まずは、自らの「丸太」を取り除く。
そうすれば、周囲の「おが屑」が取り除かれる。

人間関係において相手の状態は自分の鏡であり、
組織は指導者のようになっていくものなのだ。

「ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。
 むしろ、群れの模範になりなさい。」 (ペトロの手紙一:5-3)

イエスはこのトピックの最後に一つの例えを加えている。

「豚に真珠」。
(このことばは聖書のこの部分から来ている。)

あなたが正しいと思うアドバイスを与えても、相手に聞く耳がなければ、
相手は、それを踏みにじるばかりか、あなたに向かってかみついてくる。

そんな経験はないだろうか?

他人を変えるというのは難しいものだ。

やはり、まずは自分が変わることが肝要だ。