メル○リでは、夫の実家にあるような品がゾロゾロ売られていて、実に面白い。
箱があると価値が上がるようだ。
あくまで素人が売買するサイトで、ちゃんとした骨董屋ではないため、いい加減なものも多いが、中には、おや!というものもある。

ちょっと気になり、今の家を建て直した時に貰ってきたモノをごそごそ取り出してみた脫毛學生
漆塗りのお椀。
木の箱には、舅が生まれる2ヶ月前の日付が毛筆で記してあった。
100年近く前のモノだったのかーー。
この世に出たのは、お椀は舅より少しだけ先輩。
買った人の名前として、舅の祖父の名前が書かれていた。
当時はまだ買う力があったようだ。
舅の祖父は、明治7年生まれ。
明治、大正の品々は、この人が買ったと見られる。
昭和末期に舅が購入した茶箪笥は、舅の趣味だが、わたしの趣味ではない。
わたしと舅は、趣味が合わない。
わたしは線の細い繊細で優美なテイストが好きだが、舅はどすんとした太いテイストが好きなよう。
それ以前の人々が買ったものは、わりと優しい光を放つものや、やはり、どすんと土っぽいものなど、様々。
舅は、還暦頃に、蔵の品々を点検、整理したので、キレイに保管されているCEF 課程
が、鑑賞する余裕はなかった。
でも、ちょいちょいと、お気に入りのものを引っ張り出して、実生活に使っていた。
それをわたしがまた、実生活に使うのはまあよいとしても、重い盆栽の鉢植えの下に敷くとは、せっかくの漆塗りが傷む、勿体無いではないかと、ちょこちょこ持ち帰って来たりして、舅との隠された水面下のバトルが繰り広げられていた。
その点、姑も夫も、まったくお道具には興味がないので、喧嘩にならなくて、話にもならなくて、すーすーに何の引っかかりもなくて、とても良かった。

舅は見た目とは全く違い、取り揃えられた文学全集も愛読し、文系色の性質を持っていた。
姑はバリバリの理系、夫も、夫の姉も、バリバリの理系。
わたしは、どんより文系。
子供たちは、コース的には文系2人、理系1人。
ではあるが、中味的には、文系混じりの理系と、理系混じりの文系と、普通に文系。
上手く混ざったものだ。
そこに、娘婿たちは、理系。
これまた、良い具合に混ざった感じ。
面白いものだ。

と、まあそれはそれとして。
価値観は各自異なり、モノに何の価値も見出さない人が存在するのは当たり前で、蔵ごと叩き売る人がいても、それはそれで、その人の人生。

わたしも歳を取り、骨董趣味が出てきた加拿大留學
が、食器は、他人の骨董品は使う気がしない。
どこの誰が使ったかも知れないものに、食べ物を乗せるのはどうも抵抗がある。
先祖達が使ったモノや、超新古品ならまだしも。
それに、メル○リに出ている骨董品は、結構、ひどい。
わたしなら、絶対買わないようなものがゾロゾロ出品されている。
わたしの基準は、、、骨董品と言えど、経年劣化によるクスミはまあよいとして、カケ、ヒビはNG。
接着剤で修理もNG。
転売する気はないため、箱は無くてもよいが、窯元の名なり、作者の名前なりが入っているものがよい。
が、名入りでも贋作ももちろんある。
仮に贋作でも気に入っていれば、それでよい。

夫の実家でちょこちょこ見つける、興味深い品々はカケていたり張り合わせられていたりするものもあるが、何の価値もなく換金性はゼロであっても、わたしに取っては大事な時代の物証である。
愛おしく感じたり、くすっと笑ったり、
人知れず隠してたんだろうなあ、、、と想像したり。
遠い遠い昔の、喜怒哀楽の日々を彷彿させられる。