「愛のホルモン」とも呼ばれる脳内物質 オキシトシン は、
近親者に対して愛情や信頼といった感情を呼び起こすことで知られるが、
一方で「部外者」に対しての敵意を増大させる効果が 判明 したという。
一見すると奇妙な話に聞こえるかもしれないが、これは極めて自然なことではないかと思う。
ここで、仮に愛情を引き起こす脳内ホルモンが博愛精神を発露させるとしたら、どうなるだろう。
例えば、野生動物の母親は、自分の仔を外敵から命を懸けて守り抜くが、
ここで博愛精神が発露してしまったら、外敵を撃退することが出来なくなってしまう。
つまり、何かを愛するということは、それを害するものを破壊したい、
という衝動と組み合わされていなければ、有効に機能しない。
言い換えると、オキシトシンが生み出す「愛」とは、偏愛のことに他ならないわけだ。
よって、オキシトシンが身内に対する愛情と、部外者に対する敵意を
同時に増強するとしても、特に何の不思議もない。
逆に言えば、博愛を意識することは、オキシトシンの効果を弱め、
必然的に部外者に対する敵意を鎮める効果がある、と考えられよう。
ちなみに、初期仏教では「愛」を煩悩の一種として戒めているが、
言われてみると、確かに「 慈悲の瞑想 」によって博愛精神を涵養することを推奨している。
オキシトシンの例を鑑みるに、修行の一環として「慈悲の瞑想」をさせるのは、
「博愛精神は崇高な理念だから!」という博愛主義ではなく、
慈悲を持つことによって「愛」の害毒を避けられるようになる、という実践的な目的があるのかもしれない。
よく考えてみれば、キリスト教やイスラムでも、
「隣人愛」とか「ザカート」いう名の博愛精神を称揚しているわけで、
古来から、激しい怒りを鎮める最適な方法は「偏愛しないこと」である、と分かっていたわけだ。