今日のテーマは 幸・不幸 判定は如何に? だけど・・・・・
昨日から今日にかけてちょっと頭をもたげているのは まぁ自分は前々回は、『 火事 』 という"縁起"の悪いテーマでかつ 呪的 な内容を含むものをあげた
当然最初から予測はしていることは、もうこの内容だけで人はちょっと眉をしかめることは予想していた
ただ思うのは 本来こういった 哲学、運命学、霊的な事、・・・ いわゆるスピリチャリズムに敏感な人も 果たしてどれだけ "まともな" 現代人としての 認識力 でもって記事を読んでいるのか?(※この記事だけではない) はたはた疑問だな~っと思うフシもある
それは 普遍性という概念とも通じる部分があるが あいもかわらず 単純なイメージだけによるポジティブ・ネガティブの第一印象だけで物事を判別し 文の背景にある "真意" など 見向きもしない者も多いのではないか? ・・・①
また 最近の局在化する社会に ズッポリ はまり 局所的に徹底してマニアック的な世界にはまりこみ 無条件で自分が熱をあげている超狭い項目以外興味無し となっている人も多いのではないか ・・・②
これら①②は、もはや この前々回からの記事とは無関係に 最近とても強く感じていることだ もしそれが現実ならブログを書く意味なんて半分はなくなってしまうだろう
まぁこの部分に関しては いずれ 『 普遍性とコミュニケーション 』 という内容で描こうと思っている
さて このあたりで内容は元に戻り 前々回からの「 火事 」という自分にとっての大イベントを自分は最終的にどのように捉えているのかだが
まず最初に 自分の家が火元となり不幸にも全焼してしまった隣近所には、もう何度も頭を下げにいき ここ2年間ずっと賠償の取り組みをおこなってきた
気持ちの問題も忘れたわけではない なぜなら隣近所とは 正に私の幼少期~青年期を作りあげた環境であり ただ単なる他人の家ではないのだ
自分のかけがえのない人生の基礎となる想い出の数々であり それを自分は前記事で "物質的オブジェクト" と現した オブジェクトは建物類を現していったが それの主体とは 当然 隣近所の人々であり ここ2年間毎日考えていた 考えない日はないのである なぜなら 例えば自分の中にある「先輩」という単語の形成は その隣近所の学年が1級上の幼馴染が基礎となり構成されたわけだし これはでかい意味を示している
ただ 被害者の心情を話したとて 事態は何も進まない 自分は己の道を進むまで それをわかった上で読んでもらえれば幸いだ
最終的には この出来事が自分にとって人生上 何を意味していたか その 真意 , 真因 は、今のところわからない
しかし この火事による 形 をみることで 自分はこの大イベント2週間後 ある気づきをえた
確かに確かに! この火事は自分から全ての物質的私財 並びに少年期の想い出を作りだした "物質的オブジェクト" を全て奪った ところが もう一つ奪ったものがあるのだ
それは この地域での区や組での立場というものだ 先にもあげたが この火事以後自分達は昔でいうならば 隣の集落となる地域の母親の実家に世話になった
そして 地域(区や組)での役回りもその意味合いがなくなり 自分の家系はこの地区からすべからく身を引いたのだ
それにより 今まで 内心本音では、自分が死ぬほど "嫌だ" とずっと思い続けてきた "それ" はいわば "完全" になくなったのだ わかるだろうか?(^^)
自分は、この事実に気づいたとき ちょっと待てよ! ということで 沈思熟考した
果たして この火事以外で 街での役回りから逃れる方法はあっただろうか? と
信じられないかもしれないが 強い地域性が残る このあたりでは 相当なことでもないと 綺麗に地域の役回りから逃れることはできない 見かけ上逃れたとしても それは必ず信頼を失墜し 場合により非難の荒らしになることさえある
ましてうちみたいに長年地域に貢献したきた家にとっては めぐりめぐる『 奉仕と恩恵 』の循環を断ち切ることはまず不可能なのだ
そう つまり街で家系的に長期間この『 奉仕と恩恵 』という名の役回りをやってしまうとそこから逃れる術はまず無い
長年街に尽くしてきた親が高齢者になって身を引いたとて 家族共々 他の地域に引っ越すというようなことはうちの場合両親が絶対許さない
例え自分が仕事で海外移住というようなことがあったとしても 家系的には ではその分は また後年に! というだけになる おわかりだろうか?
それでももし仮に頭をこねくり回し何かしらのこれを避ける方法を奇跡的に編み出したとしても それを実行に移すのはおそらく至難の技どこではない
なぜなら自分の頭にその青写真があったとて 周りの者は誰一人としてそれを身をもって認識することはできないからだ つまり周りは長年のしきたりでしか動かない
それが一瞬のうちに その大義名分は吹き飛び うちは長年のその責務を維持する役まわりはなくなり解放されたのだ
これは うちというより何より 自分個人が最も嫌で嫌でたまらないことだった なぜなら 地域での活動というのは 昔から変わらない先輩後輩の関係などが 少なくとも7割が残ってこそやる気もでるというもので もはやそんなのは2~3割程度であり
後は 自分達より10~30歳も若い20代や30代が 場合により40代や50代を ため口を聞くだけじゃなく小馬鹿にして顎でつかったり
また どこの国籍か? 怪しいとおもうような奴が その仕事環境場では指令する立場の先輩であったりしたのでは 伝統もしきたりもあったものではないし
何より自分は 親父が長年地域の長のポジションについていたため 年配者から「今頃のこのこと地域デビューか?」などと言われるし また学生時代は気にいらなければ 呼び出してちょっとこづいていた後輩連中に 今度は顎で使われる事を意味している おわかりだろうか? こんなもんやってられるか!!!
自分はこの究極の屈辱に また3年後に1年間味わうことになるのがたまらなく嫌だった というよりなんとかならないか?と
この不釣り合いな状況から逃れることを無意識的に切望していた いわゆる その状況というのが 死ぬ程嫌だったのだ
それが 火事とともにその大義名分は、綺麗さっぱりなくなった
つまり よくよく考えてみると この役回りから逃れる方法は 自分の場合 ハッキリ言う「無い」のだ しかも 完璧なまでにうまくそれは絶対的になくなったのである
そして 今まで自分にとって非常にネックとなっていた「無くなったこと」は 実は、これだけじゃないのだ
仕事を選ぶ際のジャンルや条件というもの また地元地域が絡んだり家族の顔に泥をぬる結果になるかもしれないとか・・・ 何事にも大胆に打ってでることができなかった 諸所の閉ざしていた可能性が全て!開けてきたことを意味している
(※地域がからむためできないとは、家族の顔以外において自分の場合、ただただ地元の人達にみられるのが嫌で嫌でたまらなかった)
これに気づいた時 正直自分は ぞっとした 長年の間 絶対的条件として自分を抑え込んでいた全てがなくなっているのである 考えてみると!
しかも うまい具合になくなったのだ
さらに沈思熟考した もしかつての標準状態において これと同じような自分にとっての "好条件" を作りだすことは可能か?(経済的な事以外で) と
いや絶対無理なのだ 自分がそれを切望しても今度は家族や親族がそれを許さない またいかなる手をもってしてもこの条件は揃わないのである
それがわかったとき 正直ぞっとした この傍からみていると全くわからない奇跡は 確かに今のままでは貧困の極致だ
しかし もしこの経済難さえ 克服できたなら 自分にとっては 人生が1気に形勢逆転となるのである
とはいえ その後も自分には、働きにでた矢先に 甲状腺機能亢進症が急激に悪化 また両親の認知症は促進 と次々と違った不幸が押し寄せているから調子のいいことはいってられないが まず病気は手術後に完治するのは容易にわかることだ
つまりそれらをトータルでみた場合 自分は胸の内でわかるのだ 運命の裁定者である※父なる神は 完全平等に自分を采配していると
(※ 父なる神とは、キリスト教のそれではない 全現象の総体として起こる流れを男神になぞらえただけだ)