+++ アテナイの鼓動 +++

 夏もたけなわ 休暇ということもあり関東の親戚が我が家にやってきた、子供の相手をするため自分が幼少期によく連れていってもらった海水浴場に連れていき 初めて海をみる子供が海を怖がらないように お手本ということで 準備体操無しにそのまま海に飛び込み 数年ぶりに泳いでみた なんと気持ちのいいことか・・・

 おかげで気持ちも晴れ上がり みんなで家に帰った 義理の兄弟はすこぶる学業成績がよく今はなかなか入社困難なアメリカ生まれの電気関連大手に努めている
話題が政治哲学にいたり 自分は、フッとマイケル・サンデルの話しをしてみた 非常に驚いたことにその義理の兄弟はマイケル・サンデルを知らなかった
 その義理の兄弟は至って普通のサラリーマンで真面目で賢慮な姿勢の40代前半だ
皮肉にも その彼がマイケル・サンデル大学教授を知らないという事実は 自分の中にマイケル・サンデルの暗黙のメッセージをより強める結果になった

 もはやネットでよく動画を見聞し哲学を思索する人でマイケル・サンデルを知らない人はいないだろう 自分の義理の兄弟は会社で重要なポストについていてとても娯楽で動画見聞している時間などないわけだ それはおいといて自分は今まで数あるマイケル・サンデルハーバード大教授の動画をみてきたつもりであるが 今まで自分の評価は間違っていたと痛感する動画に昨日出くわした その自分の評価とは ハーバード大といえば 陰謀論者の間では 世界の秘密結社のメッカである そこの大学教授ともあれば何だかの秘密結社に属していてしかるべきだという思いから マイケル・サンデルも世界の庶民の見解や世論を より均一化したグローバル世界体制に誘導するように一役をかっているのではないか?
 そういった先入観がどこかにあった かつてそんな思いでマイケル・サンデルの動画を見ていた時、東北大での講義だろうか?どの動画だったかハッキリとは思いだせないのだが、何かの動画で 「・・・・自然災害の地球規模の情報共有という視点で 丁度地球の真裏側の人もまるで自分が体験したかのように 災害の情報をえれれば ・・・・」 といったような講義の1説が頭の片隅に残っていて それがそういった陰謀論的疑念を生むきっかけになっていたようだ 東洋的直観の世界を重んじる人間の悪い側面だったと反省した。


 紀元前1000年頃 古代ギリシャの都市国家 アテネやスパルタ、その他の都市国家文化においては、以前この時代背景に詳しい友人から この当時のギリシャは 多くの政治体制が自然発生的に確立されていき 1介の庶民にしてみれば 民主主義に不満があれば 少し旅をして軍国主義のポリスの住民になり またそれに馴染めない場合は今度共産主義的なポリスに身を寄せてという具合に好きなようにできたと聞いていた ある意味なんと面白い成り立ちだろうと思っていた。

 その他 ヘミシンクのアクアビジョン代表:坂本政道さんは この当時の文献にでている哲学者の世界はほんの一部であり実際は、海岸線にある無数の洞窟でたくさんの哲学者が生涯を思索にふけったり 瞑想修行しているのであって ヒポクラテス タレス ピタゴラスなど世に名高い数学者や哲学者は そういった無数に存在した哲学団体や教団のほんの一部に過ぎないのではないか?と本の中で説いている。

 大学時代自分が通った大学は北海道にある医療系の大学だが 一般教養で哲学があり哲学の先生もドイツ人の先生が一人と日本人の先生と二人いたが、両者とも面構えがまさに哲学者を思わせた あっそうそう!高校時代の哲学の先生などソクラテスに似ていた そしてこのマイケル・サンデル教授もまた哲学者としての風格を感じさせる。
なぜ哲学の先生というのは 面持ちがそうなるのだろう? ここにも面白い何からしらの法則がありそうである 是非哲学者に研究してもらいたいものだ。

 数あるマイケル・サンデルの哲学講義は、ハーバードで人気を称し一般公開され おそらくサンデル教授の意志により日本にもやってきて東大や東北大といった会場で学生だけでなく 住民まで巻き込み一躍脚光を浴びるに至った とくに東北大などでは 東日本大震災の復興について 教えるという立場から共に学び合うというスタンスで講義を行った
 しかし自分が今ここで是非ともお勧めしたいのは、ハーバード大でのハーバード白熱教室 P5(日本語訳) である
いくつものマイケル・サンデルの動画でマイケルは そのほとんどの場合しかめっ面で重々しい哲学的難題を振りまいて どの講義でも意見を闘わせることで問題の本質を見事に炙り出してはいるが マイケル自身 心の底からの主張というものを観ずるには至らない 
 しかし この動画はどうだろうか? 偉大な哲学者マイケルの本音がいよいよ垣間みえた動画であり 明らかに今までと違い躍動しているのがわかる



 サンデルの講義は基本的に難解な哲学の講義だ 別に哲学がわからなくても最後には誰でもわかると思うがこの「ハーバード白熱教室 P5」はどうせみるなら2回ほど集中してみて欲しいところである もちろんP5だけでなくP1からP6の最後まで全部見て欲しいものである。

 この講義には、マイケル・サンデルが長年築きあげてきた 集大成のポイントがにじみでている とくに41:00あたりから48:30ぐらいがそうだといえるだろう つまりレクチャー2の「最高のフルートは誰の手に」に集結している
この核心部分において、まずマイケルは ニヤリ笑いながらアリストテレスの名をあげて 弾けるように笑顔で楽しみながら講義をしているのがわかるだろう またその場面を目にしている学生達も少しボー然となり笑顔でマイケルの話しをきいている。
 そう!この部分こそがマイケル・サンデルの中に内在するアテナイの鼓動が芽を吹き出した瞬間である! 本来生き生きと我々人間に息づくはずの当たり前の基本理念が復活の口火をきったのである 偉大な哲学者マイケル・サンデルは 彼なりの知的で洗練されたやり方で世界に向け喧嘩をうったのだ!

 おそらく サンデルは、講義の上では カントやロールズ またリバタリアニズムの思想家が自由の名の元に政治哲学から善や美徳を奪ったといっているが 彼自身なんといってもハーバードの正規哲学者である つまりカントやロールズに限らずヘーゲル弁証法哲学中心に哲学を言葉の混沌に落としこんでいった連中へ まず強烈なジャブをお見舞いしたのである。
 また熊のプーさんの話しでもわかるとおり 子供も育ててきたいい歳した大人である つまり哲学者以外にれっきとした中年男でもある 実のところ経済や現在の社会の見聞も充分考えての活動という観点からいえば この講義は産業革命以降徐々に失われてしまい 今では商業主義者の模造品に成りつつある 社会機構に美徳や正義を取り戻すべく楔を打ち付けたのである。
 まさにそれは 次の 日本記者クラブでの動画 でもよくわかるといえるだろう

 ちなみにこのサンデルの「ハーバード白熱教室 P5」のアリストテレスの見解は、近年目覚めてきた人々が意識すべき最もおおきなエッセンスが含まれる
まず1つ目に動画をみたならもうお解かりだと思うが ロールズの見解に基づいた 仮想的なハーバード大入試の合格者・不合格者への想定される手紙が面白い
 まず不合格者には 「不合格となった出願者様へ 残念ながらあなたは不合格ですがあなたに落ち度はありません 社会がたまたまあなたの資質を必要としていなかったのです
あなたの変わりに合格した人も その人自身が合格に値するというわけではなく 合格の決め手となった要素をもっていたに過ぎず 賞賛に値するというわけではありません 我々は社会的な目的のためにそれらの要素とみなさんを利用するだけなのです 次回の幸運をお祈りします」 ※長いので合格者への手紙は省く

 まずこれら仮想合格不合格者への手紙を読んだ 次の瞬間自分の頭に浮かんだのは、安保法制の論議や現代の会社や公共のサービス現場での人間模様である
 そう!この手紙は 自分がよくブログで皮肉をいっているところの 現代現実社会のまるで炭酸の抜けたサイダーのような人間反応現象を演じている我々現代人の有り様である
 ここが最も重要である 動画にでてくる手紙はあくまで ロールズやリバタリアニズムにおける慣れの果ての仮想入試上の通知手紙の話しだが その様相たるや 全く現代の「人間反応模造品」と化してしまった 我々現代人である! 
 しかし確かに例外はある 一例を示すならばどこにでもたまにいる 厄介なオバタリアンはリバタリアンなど問題ならないほど厄介である 
 なんといってもオバタリアンは「感情」と言う名の 超強力な聖典をもっているからだ これは確かに厄介だ リバタリアンどころかカントもソクラテスもケツを叩かれ逃げ出してしまうだろう(^_^;)
 冗談はさておいて2つ目のポイントは 目的をみることから正義にかなう分配が導き出される 目的論的論法である 現代が抱える大問題の中核的要素といえるだろう
このサンデルの講義では 本来は、個々の諸問題の解決にこれは大きく配慮されるべきのものが欠如しているということを訴えたいわけである
しかし 自分がこのサンデルの講義をなぜ強調するのかというのは このテロスの論法はその程度で終わるものではないという直観が雄叫びをあげるのだ
 この目的論的論法は、哲学の分野でいえば古代哲学の1哲学者の1思想に終わるようなそんな単純なものではないのである
それは マイケルもいっている

「アリストテレスが暮らしていた古代の世界では、目的論的論法や目的論的説明によって支配されていたのは 社会的実践だけでは無いということだ 自然の全てが意味のある秩序として理解されており 自然を理解し 自然を把握し 自然の中に自分達の居場所を見つけるということは 自然の目的やテロスを読みとくということを意味していた。
 現代科学の出現とともにそのように世界を考えることは難しくなってきており 正義を目的論的に考えることはもっと難しくなってきている」

「しかし自然界も目的論的秩序をもっている 目的論的統一体だと考えることにはある種の自然さがある」

 実はこの最後の自然に対する見解こそが哲学を越えた東洋的直観の世界で初めてわかる潜在意識の領域でありグラハム・ハンコックがいうところのスーパーナチュラルに通じている世界であり自然意志(精霊・妖精)の世界である。
 さすがのマイケルも西洋人としての哲学者の範疇からはでれないため 「実際にはこのような自然観から抜け出すよう子供達を教育しなければならない」 とか言って説明をここで終えているが この自然の全てが目的論的統一体として意味のある秩序を成しているものの法則解明こそが本物の科学といえるのではないだろうか?
しかしこのブログではこの深層領域は一旦ここで止めておいて

第3に 自分が最も強調したいのは サンデルが何気にいっているアリストテレスの 「平等とは何に関しての平等か?」という場合 それは「分配されるものの性質で決まる」
といっている点だ これは後の政治論にも関係してくるが マイケル・サンデルさえもしかするとまだ追求が足りない部分を薄っすらと感じさせるものがある
この「分配されるのの性質で決まる」 という概念こそ これから人類が真に進化できるかどうかにさえ関わる非常に重要な概念だと思うのである

 しいていえば これは自分の解釈である これは何もサンデルがいっているフルートの適合性や政治だけにとどまるべきものではないとみるのである
このアリストテレスの言う 「分配されるものの性質」のさらに「性質」という言葉に全てが現れている
 この部分はとてもブログ1ページにまとめられる内容ではないが 自分の独創的発想は経済や流通も全て含め 食料を作ることに貢献している人は それ以外の人より財としてより多くの食料を得れるべきだと考えるものである
 但し それには食料を作ることに魂レベルからの好奇心がありそれに妥協がないことが大前提となる またこれは星の数ほどある1例に過ぎない。また衣類を作ることに貢献している人は、それ以外より 財としてより多くの衣類を得られるべきと考えるわけで これもまた前提は同じである
 この自分の頭にある社会流通システムは、貨幣の破棄により初めて成り立つもので完全にこのアリストテレスのテロスに基づいている しかし今ここでその全体をあげることはできない いづれ全てをまとめ世に問うつもりである つまりこのサンデルの講義で自分は今までの資本主義や社会共産主義に変わる全く新しい社会流通システムの哲学的根拠を再確認できたと思うのだ。

第4にサンデル並びにアリストテレスのスゴイところは次の文から明らかである

政治とは 良い人格を形成すること 市民たちの美徳を高めること → つまり 良き「生」をもたらすもの   と言い切っている
さらに
「名ばかりでなく、真にポリスと呼ばれるものは、善の追求という目的に献身すべきだ。さもなければ政治的共同体はただの同盟に陥る」
「法は、他人から人間の権利を保障するだけの約束事になってしまう。本来は、ポリスの市民に善と正義を与える規範であるべきなのに。」
「ポリスは同じ場所に住む者の集団ではない。互いの不正義を防ぎ取引を容易にするためのものでもない。
ポリスの目的と意義は善き生であり 社会生活の諸制度は、その目的のための手段である。」

 みなさんは上をパッと読んで何をイメージしただろうか? 自分の頭に浮かんだのはまるで現在の予言にさえ思える程である
今からおよそ3千年も昔の政治哲学である 逆説的に言うならば、丁度このアリストテレスの哲学がそっくりそのまま抜け落ちた政治形態こそが全くもって現在とは言えないだろうか?

 現在はテレビをつければ金、金、金 また人とのつながりや組織は契約 契約 契約 つまり そして組織は全体を意識する人は皆無に等しく それぞれの立場の反応が存在しているだけである なぜこのような社会が壊れず維持されているかといえば 魂も無いかわりに覇気もないため、皮肉にも負の連鎖がかろうじて維持しているに過ぎない

第5にアリストテレスは政治学において

人間としての本質を充分に発揮できる同胞である仲間と共に

・政治について論じること 
・市民として生きること
・統治し統治される
・権力を分配すること

また 政治的な生活や政治への参加が善き生に不可欠だと主張

美徳に基づいた幸福とは美徳に基づいた魂の活動である さらに政治を学ぶ全てのものは魂を学ぶ必要がある
美徳とは書物を読んで得れるものではなく 実践し自分で行動することによってのみ得れるもの

などあげている これらは何も綺麗事を並べているようにみえるが決してそうではないのである 自分は例えば第4にあげた政治とは、良き「生」をもたらすもの という概念を高校時代目にしたとき 汚い政治の世界で何寝ぼけたことをいっているのだろう?と思えたものでだったが 今この文を目にするとその真意が有り有りとわかるものだ
 ここを抜きにして政治をやってはいけないのである それは虐め問題をみても明らかである

 また最後に「統治し統治される」 の意味合いがわかるであろうか? これは自信をもっていいたい部分でもある それは自分のブログの 沈黙の対立因子 にあげた営業と製造の確執だ ちょっとしたさらなる社会組織工夫がないがために生じる悲惨な現象と訴えた。
 それは全体の中に部分があり部分の中に全体があるという理念を具体化した組織体系こそがこれを解決できると訴えたかったのだが この「統治し統治される」とはまさにそれを解消する智慧である 詳しくはいずれブログにあげたいと思う次第だ。

 あと最もサンデルの偉大さを感じるのが 「政治について論じること」 という部分である つまるところこれは町の公会堂では絶えず政治や街の生活に感ずる部分について市民が集い積極的な討論が行われ そこには絶えず様々な人が集まり積極的に 町や県 あるいは国についての生きたディスカッションが行われ 世論が形成され 議会で審議されるようになれば素晴らしいとはいえないだろうか? 

 場合により 別に難しい政治問題だけでなく 市民が日頃日常で感じブログにUpするようなことを生で主張するような枠があってもいいわけだ、それは浮浪者、酔っぱらいから サラリーマン 事業主 政治家から大工職人 主婦やバン屋の若旦那もみんな集まってくるのが習慣になればこんなおもろいことはないではないだろうか? つまり政治を中心とした 市民ディスカッションホールは、半分は野外で半分は天井がついている そこにいけば必ず町のみんなが集まっているそこにはもはや 現代のような正体不明の疎外感やイライラは無いであろう。

 確かに一見これは夢物語である しかし社会とはどこにあるのだろうか? 我々の意識の中にある 我々の意識が強欲資本主義にNoをつきつけ真剣に模索すれば決して実現不可能ではないであろう 日本で無理なら世界のどこでもいいアリストテレスに基づいたモデルタウン連携を構築し先がけてやってしまうに限る
我々の潜在意識はつながっているのだ アテナイの鼓動を感じているのはマイケル・サンデルだけではないはずである 

<今日の音楽紹介>
このマイケル・サンデルのアリストテレスのフルートの話しではないが 以外と知られていない自分が好きな名曲の1つです