(前回のブログ「信念による確執」の続きです まずは前回から読んでください)

 最近ホリエモンは、大分丸くなってきた、「田原総一朗司会 ホリエモン、津田大介、ひろゆきらが徹底討論!ネット上での誹謗中傷を考える」 をみると ホリエモンは ここ20年?自分を育てあげたネットにより散々な誹謗中傷を保守系や街宣右翼などから攻撃を受けてきたとわかった(^_^;) 自分は調べていないが多分ホリエモン自身が作ったライブドアのブログや掲示板でもいろいろ攻撃を受けたならなんちゅう皮肉なことか おみそれしてしまう もっと早い時期にその「なぜ?」に気づけば右側から攻撃を受けることもなかっただろうに やはり若いうちは誰しもそうだが ほんのちょっとしたくだらない部分で意地をはったりツッパるものである 



 まず思うことは、最近テレビ局はどぉーも討論に味をしめ、わざと論争になるような持ち運びをしているのではないか?と思われる
相変わらず非常に「雑」な作りで腹立たしいものだ まずネットによりいじめや誹謗中傷が加速する悪い側面もあるが、過去にみられるように反日勢力に汚染された状態から日本が復活できたのもネットの自由な空間があったからこそという事実もみておかないといけない!
 しかし古谷氏や松本文明氏みたいな、人が嫌がることでも言うべきことは言うという存在は大変貴重だ 以前民主党政権時代のことだがやはり【THE韓流】 サイの言論封殺 「歴史を語る資格がない」 の古谷さんは大したものだ、おそらく古谷氏の保守系の理念は今も健在だと思われる
 ただこのTVタックルに関しては、その健善な精神はわかるし賛同するがもうちょっとアピールポイントを考えても良かったのではないか?と思えた もちろんそれはテレビ局や出演者同士の打ち合わせや演出がなく 本当の生の意見交換の場合の話しだが・・・
 それはこの動画40:46前後の文化論に見られる論点では、ややホリエモンやひろゆき氏の見識のほうに傾くわけだ それは、ネットユーザーなら誰でもわかると思うが、この点において、もはや現代では古谷氏の見解には多少無理を感じるだろう。
 これは、数年前自分も地元の稲田朋美議員の講演会で「伝統や過去との繋がりに基づかない創造は真の文化にあらず」つまり「無からは真の創造はできない」といった類のことを言われていたが その点だけは納得できなかった なぜかといえば、無からの創造こそ!心底面白いと生きがいにすら思う人もいるし 近年の天文学では宇宙は最終的には 自分と同じで 「どこまでもワンパターンを嫌う」ことがわかっている もちろん稲田朋美議員には、今でも日本人の国防意識と覇気を高めてくれた敬意をもっている
 またユニークな発想や独創的発想が好きな変わり者の自分にしてみると 保守系では どぉーしても受け入れがたい瞬間がまれにある
しかし日本の古来からの文化や感性をどこまでも大事にしたいと思う点は、保守系でしか満足できないため 時々いたたまれない気持ちになったりするものだ みなさんは、団体や会社でこのような矛盾は感じませんか?
  自分は この動画では両者の気持ちが痛いほどよくわかり、信念による確執から ひろゆき氏は、一見冷酷にみえるが他の動画では非常に人間味があるし 場合により非常に保守に似ていて日本人がバカなことにお金を使ったりする点には猛烈に反対している、チャンネル桜に出演してもいいくらいだと思える (自分もパチンコは大嫌いだ)
 ホリエモンは最近は人間的にかなり丸くなったような気がする このTVタックルでは一瞬古谷氏に怒るが 一応なんでも聞こうとする姿勢が伺えてちょっとだけ本物の貫禄がでてきたというものだ。
 さらにホリエモンは、「わかりました そういうことなら・・・」 という具合に 警察の改革や新しい法律を作るべきだと主張している
 以前から自分も思っているが、ベテランドライバーのまれにやらかすシートベルトを取り締まることに熱をあげるくらいなら ストーカーの取り締まりや、凶悪犯罪、またこの動画で取り上げている様々なネット上の問題を取り締まれる法や組織改革を政治家などと相談し、またまたホリエモンなどとも協力して「工夫」する努力が必要だと思うのだ
セキュリティ監視やネットを利用した犯罪をどうしたら効率的に検挙できるか まだまだ努力する必要がある
 ほんといつも思うは、こういった公務員的ノリとホリエモンや苫米地英人、他多くの実業家との違いとはなんであろうか このオーラの違いはなんだろうか?
 誰の目からみても、実業家のほうが はるかに庶民を深く理解していて先端の情報にも精通している その他問題解決やできる範囲での社会貢献の積極性もレベルが違うわけだが それはどこからくるのだろうか?自分は何も民間のかたを持ちたいわけではない 政治家や公務員のほうが優れている部分もあるのだが やはりどーしても受け身が多くなるのは止む終えないことで 大阪の橋下知事みたいな逸材は特殊なのだろうか?

 例えば警察機構にリモートヴューイングなどをフルに活用した超能力特殊部隊を開設するといいのではないか?というような意見が警察内部から出ないものなのだろうか?
 おそらく日本の数ある警官の中にはそういった発想を内に秘めている警官もいるはずである はたしてそういった人が上部にそのような発案をした場合、バカにされて終わりなのだろうか?あるいはもしこういった独創的意見が却下されるなら、警察機構のどこのどういった領域で却下されるのだろうか?
 おそらく仕事を雑用的労働として受け身にとらえるお粗末な団塊の世代の思考では、目に見えているが・・・
 なぜ、エハン・デラヴィやアメリカのマクモニールなどのスペシャリストや苫米地英人などの頭脳を筆頭としたエージェント組織を作るといった流れになぜならないのか?
また全体的な組織構成も唯識者を集め、頭脳班と機動部隊をケース・バイ・ケースに構成し現代に最も的確な組織に作り変えるといった流れになぜならないのか?
それで犯罪者から国民の命が救われる可能性がUPするなら積極的にそうするべきじゃないのか?
 それにしてもこのTVタックルみてもつくづく思うことは、我々日本人はいつまでたっても陰湿なイジメから開放されないのが悔しいところである
イジメについて、また上にあげた問題にも絡むことであるが 我々日本人の最大の欠点は やはりなんといっても自分の意見を言わず周りに合わせてしまうところである
自分が今から7年程前にフッと体験した1例でそれを示すと

 ある日三軒茶屋のある通りで、高校生5人とすれ違った時のことだ その内の一人A君がオカマに関しての話しを、横に位置するB君に笑いながら話していた やがて会話は盛り上がってきた C,D,E君は最初からその話題はそんなに関心がないみたいで最初は、その会話から外れていたが やがて盛り上がってくるとC君が加わり やがてD君E君は、我先にと争い、その会話になんとか割って入ろうともがいている様子を目にした、別にこの5人はもちろんオカマではなく あくまでそれを話題にして盛り上がっていたのであるが よく聞くと実にくだらない内容であった。ところが D君E君にしてみれば 置いてきぼりにされたくない一心でこのくだらない話題に 加わろうと争うほどである
これをみたとき悪いがこのD,E君の将来は知れているな~と感じた。
 わかるだろうか? このようなことは都市部では日常茶飯事だろうと思われる 現代ではそれにスマホのゲームやLineなどが加わったというだけだろうと思うのであるが・・・
 この場合 その会話の内容たるや たわいもない冗談混じりの話しで”争って”それに加わる必要などどこにもないのは明白、またじゃこのA,B,C君がそこまでして親密に付き合うほどの価値ある人物かといえば 大人なら誰でもわかることだが 中学や高校時一見にぎやかにみえるリーダー格の人物が後に社会的にそれにみあう人物になるというようなことはまずほとんどなく、相対的なものだ 自分などの周辺部は、中学や高校時目立たなかった者のほうが今社会的地位が高く成功者も多い
 こういった必要以上の 周りに合わせる行為は何も子供社会だけでなく 大人社会にも充分あることで またサラリーマン社会の各部署では「派閥」があるためやはりどうしても「おべっか」を売り忠誠心をボスに示しておく必要が生じてしまうものだ 
 まぁ 大人社会の話しは別にしても こういった過剰な周りに合わせるといった習性がどうしたら排除できるだろうか?
 これが直イジメに繋がる必要十分条件とはいえないが 大きく関連していると思うのだ 自分の場合こういった過剰なまでの”会話の仲間入り”をし続けなければいけない環境はまさに高校時代であった。後に大人になりわかったことは こんなことは何も必要なく 一人二人程気のおける友達がいればそれでよかったなぁ~と今思うものだ
こういった習性が日本人の良い意味でのチームワークを生むといえるのかも知れないが周りの反応をみないと何もできないといったような弱々しさも生むのではないだろうか?
自分はこういったオベッカが虫唾が走るほど嫌いで その他同じ日本人でもどうして自分はこうも違うのだろうと思うのだが みなさんはこういった場面をどう思うだろうか?
最も現代の都会の子供は、電車で隣に座っていてもメールで会話をしたりする場面も多いらしいが田舎ではそうでもないみたいだ

 TVタックルのこの討論がもし芝居でないならば、以前はいたフィクサーを欠いたがため、社会でそこら中で起こっている、信念による確執がこの番組でもみられるものだ
 このTVタックル(41:07)あたりで古屋氏は、保守系のノリで平気で「既存のコピー」と言い切ってしまっている そしてひろゆき氏やホリエモンは、これも文化だと論を展開しているが、そもそも保守がいうところの伝統も、昔どっかで生まれたのである なぜその点を無視しここまで言い切ってしまうのかが理解できないのだろう、しかし保守系と名打っているからには、ここにこだわってしまうのは仕方のないことだ この「文化論」のみならず自民の松本文明氏しかり番組の各所で見られる論争は、言い換えれば まるで違う宗派の宗教団体の論争や確執と一緒である この「咬み合わない点」という部分で同じだと見受けられのである

 ここにきて思いだすのが 【元オウム・上祐史浩】辛坊治郎 ズーム  ※この際オーム事件のどうのこうの 上祐氏が信用できるかどうか?については触れないでおく 自分はオウム事件にはまだまだ闇が存在するとみている

 上祐がいっているのは、過去のオウムにしろイスラム国にしろ マインドコントロールや洗脳には限界があり 教祖を初め多くの信者が心底その理念を本当だと信じきっていないとあそこまで到らないと言い切っている また過去にオウム信者がした行いを心底「良いこと」であるという信念が確立していないととても実行できないともいっている
 そう!上祐はさすがに鋭くものごとの本質を見抜いている
このTVタックルでのこの2者の対立は「信念による確執」という点でいえば、過去オウム事件の オウム信者 VS 一般社会人の常識 というものとなんだかわらないのである ※内容や争いの程度は別にして確執という点では!
 オウム事件でマスコミや評論家が過去 「なんで早稲田や東大などいくようなエリートがオウムみたいな団体に騙されたのか?」 といったような言葉を吐いている段階でおわっているな~とつくづく思ったものだ。このような評価は 哲学力0点といえるだろう このような評価は記憶力や計算力=人間の智慧 というとんでもないバカな無知からくる言葉である
この程度の解釈しかできないのであれば、「無分別智」という観点では完全におわっている
 まずは、IT系で生きてきた人の信念というか精神のモードと保守系の精神のモード、両者が相手になりきり分析せずして討論しても 結果は言い争いに終わるだけでほとんど進展はないだろう。相手の真意をつかんだ時は「あっ!なるほど~!」とピンとくるものを感じて初めて会話が成立できるのである
こういった 人の精神を真に理解せずして行われる会話は、そこから得られるものはたかだか知れている
もっと簡単にいうなら この場合両者は、前のブログで書いた「区分け主義」からくる キレた思考までいかないまでも部分思考に留まってコミュニケーションしているのだ。
テレビとしてみる分にはおもろいかも知れないが、所詮言論人がこれでは いつまでたっても同じなのである。
 暴力的強制によるコントロールは別にして所詮は、洗脳やマインドコントロールといったものは、元から内在する心的因子をより強固にする効果はあっても2次的なもので、保守系とかIT系なる人達の視点というものは、遺伝子のさらに奥に刻まれた性質や特徴をうまく「区分け」して その最も強く働く内的衝動を 業界や政治団体 また宗教などにまとめあげられ資本主義社会の民主主義という選別フィルターを通り社会に噴出しているに過ぎない
多分保守系の人に言わせればそれは違う!といいたいだろうが、大きな視点ではやはり保守系とてそうなのである。
 上祐は、以前の「たかじんのそこまで言って委員会」とは違い この部分だけはオウム事件当時と変わらない勢いで熱弁している 例えば 宗教団体は終末思想など過去から1千年以上前から何回も何回も同じパターンを繰り返し 人を不幸にしてきた それを熟知する必要性をといている。
もしかすると今のこのいい加減な時代にまたしてもアレフやへんなカルトが巨大化した場合自分にも危険が及ぶのを不安に感じているのかも知れないが、それよりも無知からくるワンパターンの繰り返しを訴えたいのだろう。自分も思うがこういったことがわからないということは、例えば何のために「勉強」するのか!という「勉強」の存在意義である。何回も何回も同じアホな繰り返しをしているということは「勉強」というものが機能していないからであるとさえ思うわけだ。
 それは何もこのTVタックルだけでなく現在の保守系と安保法制反対を訴える団体の確執についてもいえることだ! いい加減真の叡智に向かうべきである 実は1個人1宗教のはずなのにもはやガラクタでしかない政党政治や宗教団体になんでごまかされるのか!いい加減自分の真の遺伝子を真の智慧を覚醒する必要があるといえる。

 自分は、今の時代 「少しでも社会を健善なものにしよう」「あるいは自分の国を強く優れた国にしよう」と思う者にとって必要なものを運動的側面から大きく分けていえば
次の2つが必要だと思われる
①スパイ天国と言われるこの国において「外国の諜報機関」による反日工作の徹底排除
②上と連動した 世界の権力者達の思惑がいかに我々に作用し現実的にコントロールされているかを知ること
 つまり②は陰謀論とはちとニュアンスが違うが近いものはある この2つをやらない限り日本がよくなることなど自分はありえないと思っている
 自分は過去数回 保守系運動に参加したことがあるが そこでいつも感じたのは、保守系あるいは愛国心に目覚めている人は、①はかなり熱を入れるわけである、それにより今では誰もが、特亜反日3ヶ国などの実態を知るに至り 現実的にそれがどう作用しているのかも日本人全般的にわかってきているといえる
 ところが この保守系や愛国的視点に目覚めた人のほとんどは、②の観点になると途端に無視してしまう人が多い傾向がある
とくに保守系の団塊の世代は、②の部分には目もくれいないバカが非常に多いのが現実だ その無知さは、そのまま今まで自分達が行ってきた①の成果を台無しにしていくとも知らずにである。
真に次の時代に至るには、このあたりの「信念による確執」を分析する必要がある