瞑想の種類には大きくわけてどうしても2種類のジャンルが生じてしまう

それは  ・認識論 哲学系つまり思索をそのテーマとする瞑想
      ・内観素子制御系 早い話しが気功系 タントリズム系瞑想 (内観素子とは瞑想中に感じられる光や音 、物体)

 ちょっと本筋から外れるが昔は、いくら冷静に認識したものでもこういった内面に感じたものを人に話すと、イカレた奴とか異常者に扱われたものだ
少なくとも昭和はそのような時代であったことを我々は忘れるべきではない、(その証拠に禅では今でも座禅中に内面に浮かぶものは全て魔境として片付けてしまう)こういった各時代における風習や情感こそ忘れてはいけないのである 過去に戻れといっているのではなく勉強になるからだ

 元に戻り例え思索系瞑想をやっていてもその途中段階で心の観察の主眼が気功系に変貌していたり またその逆にタントリズム系の瞑想をはじめたとしても内面に沸き起こる挙動が「これは音なのか?光なのか? ん? 空間とはそもそもなんだろう・・・」 といった本能の思考回路が働いたりする
 自分は、こういった瞑想中各プロセスで出現してくる光や音、また圧力や衝撃 また言葉で表現できない内的な物理実態を内観素子と表現している
(内的な物理実態などという表現をしているが、物理という単語は内観を否定した科学によりもたらされている言語だ しかしこの場合解説としてやむおえない)

 我々は、この本能に備わっている思考回路、現実世界で使う大雑把な思考回路ではなくこの本能に備わっている思考回路、Windowsで言われているところのセーフモードでも、Dosでも使えるコマンド群を働かせている最小限のプログラムがあるがために様々な精神現象を解析できるわけである
 もちろんこの”心のMSDos-mode”は実際、フル稼働しているときには余計な思考は一切ない 

 つまりトランス意識状態や瞑想が深まったとき、あるいは就寝時夢に入る一歩手前の状態、また夢から覚める一歩手間の状態 この心のMSdos-modeが明確に働くわけだがその時は、必要最低限の思考だけが働いている

 つまり今部屋で寝ているとか・・・自分はどういう人間で今何をするべきで・・・とか覚醒時に当たり前に頭にある状態認識は一切消えている
それがなぜわかるか?といえば瞑想のトランス意識が深まるプロセス、また瞑想プロセスのある特異点以外は、この思考Coreにより大体覚えているからだ
(心のMSDos-mode=思考Core 大げさにとらえないでほしいリラックスすれば誰でもこの状態になる)
ではこの必要最低限の思考だけが働き、「今部屋にいるとか、・・・自分はどういう人間で今何をするべきで・・・とか」いつもなら自然に働く言わずと知れた状態認識が一切無い思考Coreの状態は、どんな状態なのか?単刀直入に一言でいうなら

「全く通常の意識状態です」 というしかない つまりフッと気づくとリラックスして昔楽しかった思い出が心に浮かび、部屋で横になっていることを忘れているが完全に理性がなくなってるわけではない状態 そうそう電車の中の居眠りに近い状態

 ちょっと厳密にいえば全く違和感のない自分自身の意識状態・・・いゃそういうと大げさにとらえてしまうかもしれないので、もっと厳密に言うなら 今この上の文を読んで最も集中した"瞬間だけ"をピックアップするなら そのときあなたは、「今部屋にいる」だとか後10分で飯だとか意識しているだろうか?(もちろんそこまで集中して読んでないかもしれないが ^_^;)
いいたいことは、つまり普通に目をつむっている状態の意識と何も変わりません!
 
 ただこの意識の主体つまり自分はどこまでも自分だというのはごくごく自然にあたりまえのこととして認識している しかし今部屋にいるだとか 覚醒時の2次的情報だけが消え失せているだけのことで トランス意識とは、この思考Coreで内的空間つまり心の中の心情やイメージに浸っている状態を示す トランス意識とか変性意識とか難しく聞こえるだけのことで、そう!つまり 言葉とは恐ろしいもので雑念とか集中といった場合 この雑念とか集中という意味もよくよく吟味しないといけないといえるだろう

 本物の瞑想とはこの状態をもってしてスタートといえる この状態から凝念・静慮・三昧というプロセスに入っていくのだ、というより思考Coreの状態は自然状態の雑念を凝念・静慮した状態に近い。
しかしこの思考Coreの状態というのは、自分で意識の周波数を調整することで、そういった単発1点集中を飛び越えて、古代から言われている幽界やアストラル界といったところにダイレクトに移動できるわけだが、トランス意識を明確に認識できなければ、その先の話しをしても無駄である

 ヘミシンク技術は確かに効果的でこれらを促進させるといえるが、そんなことをしなくても簡単にこれら各界にいけるものである
自分はこの思考coreの状態こそがパラレルワールドを紐解くというか、個人的レベルでも研究できるカギだと認識している
 
 自分がもっとも痛切に訴えたい部分は、何回も言うように言葉で瞑想世界を認識しようとする頭の硬い人 つまり「トランス意識」とかいっただけで「宗教か?」とやりだす
人にこそ 自分は瞑想のなんたるか?を教えたくなるのである。簡単にいえばつまり大槻教授みたいな人である
大槻教授みたいな人に「瞑想世界とは?」を細かに説明していくと最後の最後には、顔を赤らめながら 「あ~そうかい わかったよ でも俺にいってどうするんだ」 と一応は理屈の上では納得する場合もあるが、それでは駄目なのだ やはり根本的にわかっていないに等しいのである

 なぜなら理解したなら100利あって1害無しというものだ すぐにできなくてももっと違う言葉が返ってくるはずだからである。もしあなたも上のように思うならどこかで自分の言葉を大げさにとらえているといえる

 そういった人のほとんどは、もちろんこの瞑想における内的空間とくに2番目の内観素子世界が認識できないか あるいは悪い言い方をすると、以前言われていた右脳にあたる部分の働きが鈍いかのどちらかじゃないかと思うのだ しかし瞑想的世界を批判する人の現実認識はシビアでまた決して人間性が低いわけではない いゃ むしろそういう人達がいるからこそ 社会がしっかりしたものになると50%はいえている 当然の結果として保守的な人に多いわけだ
極端に表現すると上で内観素子制御系瞑想というのは、ウルトラマンごっこの世界だ、つまり自分の瞑想空間に出現する様々なイメージや音や感触を利用する この瞑想での出来事をまともに前おき無しに話すと人は今でも気のふれた奴とみるかも知れない

 自分は海外旅行というものはあまり関心がない それは将来もし宇宙時代がきても同じで宇宙旅行にもそれほど関心がない なぜかといえばそんなものより幽体離脱としか表現できないが・・・まっなんでもいいわ この思考core状態から展開される ある特定世界は最高のおもしろさを誇る流れ星 超ワンダフルな世界があることを知っている
 前にもブログで書いたがこの思考core状態を自分で調整して世間で言われているところの幽体離脱状態になれば、ある意味どこでもいけるのである それは苫米地英人は、脳がつくりだしているといっていて、また別な局面で苫米地英人は、脳をこえた全生命の精神の情報場が存在するといっている さすが苫米地英人だ! 表現の仕方が最も的確である

 結論からいえば、脳などは全然!役不足なのである それは体験しないとわからないと思うが、無でも空でも呼び方は好きにいえばいいだろう
ある領域までは脳のストレージを利用しているのかも知れないが ほんの最初だけである あきらかに自分の身体以外のというか、生命の情報場から体験している 意識の対象である事物や環境が現れそれを体験することになるのである。自分の意識がその情報場にいったというほうが適切なのかも知れないわけだ

 自分は、それが現実世界とリンクしたことが過去数回あった だからある領域は、自分の身体外の現実物理世界と密接に関連していることも知っている
ややこしいのは、これら展開される世界は1種だけじゃないということである よく神秘学では、エーテル界、アストラル界、コーザルとかいろいろ言うがこれではちょっとナンセンスと思われる 表現の仕方があるというもので そんな大げさなものではないのである もっと現実的であり誰でも簡単に体験できることなのだ。

 このおもろい世界(おそらく幽界・中有)では、自分の思考により想像が続く範囲でなんでも簡単に創造できてしまう しかし自分の思念で創造したものと 最初から自然に湧き出てきた環境とはちょっと違うのだ もちろんこの世界には人もいて会話もする
 従って自分で空を飛び宇宙の彼方に一飛びということも当然可能である またこの系統のサイトには他の星はでてこないとあるが 自分は結構他の星にいきこの世界の宇宙人となら話したことがある 会話もした 確かに理解しながら会話もしたがその内容までは ”この現実世界では”表現できないのだ 時間感覚がまるで違う、それは丁度夢で何かを発見して、覚醒してからそれを思い返してもそれが何かわからないというか思いだせないのに似ている

(だから本物のチャネラーとはこの「戻し」のテクニックというか能力がたけているのだろうとわかる)
 自分は今も就寝時頭頂にものすごい迫力の白い光るかたまりが強烈な勢いで入ってきてビックリして飛びおきる 多分何かの存在からの力と信号だろうと思う、しかし残念かなそれを紐解く能力というかテクニックがないのだ また以前のようにスムーズに幽体離脱できなくなってしまった

 つまり幽界らしき世界では、いくらでも他の生命体の星らしき場所にいけるわけである もちろんこの段階では現実世界の星系と一致しない
まぁここまで話すと論が飛躍するが、このサイトでも言うようにとにもかくにも 「おもしろくダイナミックで自由である」 これを20代以降に初めて体験した人は驚きと感激で人生観が一変するかも知れない

 というかおそらくそうなるだろう
もちろんこの幽界みたいな世界はその集中の度合いで、自分がいっている思考Coreの状態から5感全てをともなった世界に移行するのは言うまでもないことだ
しかし若干ではあるがこれは特殊状態の世界を体験しているのだ!という思考Coreがいつも残っているのだ といより点線みたいな経過で思考Core状態が現れる
だから記憶もできるし 現実との違いを後で認識できるのである 全くワンダフルで是非ともお勧めしたい”世界観”だ
 おそらくこういった世界を経験した者には、こういった世界を体験していない人が現実世界の決まり事や左脳(今は左脳右脳論はあやふや)だけで考えた論をさかんに訴えてもおそらく あまり効果がないというか逆に あ~知らないんだな っとなるだろうと思う

 もう一度言うこのブログを書き初め自分はパラレルワールド(マルチユニバース)について発見したことと金剛界曼荼羅について思うことを述べようとおもったが、それより大事なことは、頭の硬い なんといえばいいか・・・例えばお経を読んで道徳論で全て解説する人 つまり未だにトランス意識状態で出現する諸要素を全く感知できない人、つまり瞑想とは宗教だ!といってしまう 内観を全く感知できない人にこそ この瞑想世界をわからせたい思いで書いている

 そういう人がなぜ 頭カチカチになってしまうのか?自分はその経緯がいたいほどわかる アホな輩が内的世界のことを”大げさ”に解説してきたからである
 またそういう大げさな表現をする人間を一般人がまつりあげてきたからだといえるだろう
誰でも体験可能なのだ! またこれらは多くの人が体験するべきだと思うのだ それはやはりこの世のものとは思われないほど素晴らしい世界も体験するし、ストレス発散にもなれば まぁ低レベルではあるが男であれば誰でもわかるだろう女との交わりも5感をもって体験できてしまうのである。人により表現の仕方が違うため上にあげたサイトと自分ではちょっと認識が違うが全体をみるとこの確かにこのサイトはわかっているな と認識できる それはなぜ言えるかといえば、大げさにいっていないからだ。

 しかしこの世界を体験するともはや 男にとってのえげつない性欲はやがて消え失せ 本来の健善な性欲だけがのこるだろうといっておく この幽界らしき世界は、さらにその深部にあるアストラル世界といえばいいだろうか?アストラルな世界やその他もろもろいろんな世界というか次元(容易につかいたくないが)そのような世界とグラデーション的につながっていることが明白にわかるし また実際トリップすることが可能だとわかるはずだ

そう この世界には現実世界と比べものにならないほどのおもしろい"出来事"があり どっかでリアル世界とリンクしているのである
もちろん だからといってもう現実世界やーめた!とはならないどころかむしろ逆でこの世界を体験すると現実世界もまた大切にする気持ちになるのである
なぜか?ますます探索したくなるからだ ただ最初だけこの幽界なる世界を鮮明に認知するには
途中確かに一瞬だけ魂が吸い込まれるみたいな壮絶さをともなう"移行状態"を経験することになる
もちろんこの幽界なるものは、それを体験していない人にとっては書いて文字のごとく 「えっそれはでも幽霊の世界では?」 となる
 
 はぃそうです と答えるしかないのだが、結論からいえば全く怖くないことを誓っておく それは以下のような理由だ
「あなたは、今この現実世界の今この瞬間を怖いですか?(^_^;)」 ・・・と 当然怖くないでしょ?それと全く同じです
 この幽界たるや それくらいの鮮明さがあるのだ つまり現実世界の質感や情景とほとんど変わりません!鮮明です!
だから脳みその記憶領域で保持されるようなもんでないといいたいわけですね
 しかし瞑想だけで内観世界の周波数の違う世界にいくのは、現代人には確かにちょっと難しいことは確かである だから就寝時の夢を利用するほうが早いかもしれない
ですから 瞑想とかいうとすぐ 宗教だ!とやる人=完全左脳型の人にまずお勧めしたいのは、とにもかくにも1時間だけダマサれたと思い呼吸に集中して自然体で座るか、
あるいは、夢に入る直前の領域を自分のやり方でなんとか詳細に見聞してみるか・・・ まぁヘミシンクなどはいいですね ネットで聞けるし

 いっておきますが別に自分はヘミシンクを斡旋したいんじゃないですよ 頭の硬い人の壁をとってあげたいだけです
内的空間 つまり目をつむった状態で半覚醒状態を認識できたとき集中を止められたらしめたもんですよ そういった時に幻覚でもいいから光や音が聞こえたら その対象物は 自分がつくりだしたものかどうか よくよく考えてみるとこからはじめるといいと思いますね 
 
 もしやがて光や音が感知できて、幻覚だというなら その時あなたは 「我思う故に我有り」状態でなくなっていましたか?そんなことないでしょ? 自分はちゃんとあるでしょ?

 じゃ何がその音や光をつくりだし 第一その音や光を対象とする内的空間も誰がどうやって作ったのか?脳ですか?
 確かに脳や分子、電気信号は、途中まではそれらを伝えているかもしれません しかしそれは最初だけですね また脳や分子、電気信号はそれらを伝える媒介でしかありません 第一現実の物理環境だってその点は同じなわけで、脳や分子、電気信号を介して認識するわけだから それは答えになりませんね

 全ては錯覚ですかね?ではこの世も錯覚ですね(^_^;) 信長バンザイですね あなたという存在も錯覚になってしまいますよ (^^;ゞ
瞑想して是非この矛盾をといてみてください 論戦などというくだらないことをしないならばいくらでも質問してくれていいです。 瞑想に関心がありこのブログで質問したことがあるならいくらでも質問してください