5年程前、昔からの持病の悪化で最悪の状態までいってしまい 医者から胸部より上にある臓器の切り取り手術を迫られたが断固断った
自力で治す自信があったため 瞑想により自力で治したのだが その決め手となったのは いゃ そんなことを言わずとも瞑想に大切な要素が「静寂」である 自分自身の意識をただひたすら心地よい静寂にもっていくだけのことだ
最近では その方面の解説動画でもっともわかりやすいのがこのエックハルトだと思う



調べてはいないがおそらくエックハルトさんは禅の熟達者から禅の指導をうけたのではないかと思う 
この動画の2:32部分で(^^;何やらおもろいジョークをいっているがこれは、ゴータマシッダルダつまりお釈迦様とて同じというか・・・エックハルトのは、あくまでちょっとしたジョークだろうが、お釈迦様はある日社会の実情を知り突然王様稼業での女房と子供をほったらかして山に入ったわけだから、今で言えば無責任にも程があるというものだろう、まず当然当時インドのバラモン社会では誰も想像すらしないことをやってのけたのである
 
 確かにド根性ものだが残された女房にしてみればたまったもんじゃないだろう それは苫米地英人も「般若心経は根本的に間違っている」の中で言っているし、けんむの会の護国憲法学者の南出先生も言われている
 自分も高校時代から気付いていたが さらに見識を深めると仏教は、途中インドから中国に伝わるまでにクシャン族に徹底的に政治利用されてしまっているから まずその段階でかなり変質していると思われる どこがどう変化したなど資料を見聞してわかるようなしろものであるはずがない、なんつっても「政治」に取り入れられてるからである さらに中国でもかなり変化したと自分はみている 苫米地英人は、確かに優れていて学者でありながら最後には言葉の世界では解釈不能な点を見きっているといえる 言葉で考える学者には、真の仏教解釈はまず無理なことは言うまでもないこと
 元へ!・・・(^^ゞまぁいつの世でも男が哲学を極めようとすると”オク”が厄介な存在となるといえるだろう 男と女では思考アルゴリズムが全然違うからあたりまえだが・・・

 まぁそれはさておいてこの静寂というのはいずれにしても自己実現、瞑想世界なるものには避けて通れない最重要なポイントだ
 ここで誤解してもらいたくないのは、静寂といえば何か堅苦しいというか人によっては、禅の雲水が後ろで棒(警策)をもって睨みを聞かせているようなイメージがあるかもしれないが、それは全くの間違いですこぶる心地良いものだ
 自分はこの静寂に向かうときいつもこの曲をイメージする Art Of Noise - Moments In Love 自分はこの曲を聞くと何もかも忘れて静寂にむかえるためこのブログの今日の主眼はこの曲だ
恋に堕ちる瞬間という日本語になるが そんなことはどうでもいいのだ 自分はこの曲を聞くと子供の頃 お爺さんに連れて行ってもらった越前海岸の旅館で夜、海を見た時 真っ暗な中にほのかに灯る灯台を思い出すのだ 今ではそれが越前海岸のどの旅館だったか全く記憶になく またその旅館で過ごした時の思い出は一切なく
したがってこの記憶は、何か違う記憶と取り違えているのかな~っとすら思うが、ボンヤリした感触というかイメージだけが残っている
先に「記憶」といったが、上の話しは別にしてこの記憶というのはいずれブログのテーマに取り上げようと思っている なぜなら霊的なものと密接に関係しているからだ
 
 まぁともかくこの曲はマリックのバックミュージックとしても使われていたし 昔懐かしい夜11:00のラジオ:クロスオーバーイレブンでも流されていたような曲だ
余談だが、実は3年程まえまで、この曲が誰の何という曲だったか全く知らずマリックの事務所に電話して聞いてもわからず、諦めていたが 瞑想の実践をしているとき
その余韻に導かれてネット上で発見した そのときは3年間探したものが簡単に見つかり感動したがどういった成り行きでみつかったか思いだせない

 元に戻り そう!このクロスオーバーイレブンのOPも自分が伝えたい 静寂 mode というか静寂に向かうプロセスの装いを感じさせるものがある
 しかしよく考えてみると 親友とは話すことだが、昔は街に哀愁というか情緒があり もちろん生活にもあった その情緒とか哀愁はいつでも意識にあり
その情緒や哀愁を土台としてベスト・ヒットUSAやこういった曲を聞いたわけだ 同じ曲でもあの時代に聞いたからこそ 今でもこの曲は自分にとって味があるのかも知れないとも思う いゃまさしくそうである 
 昔は情緒があるからといって自分が生まれる前の曲を聞いても自分の意識の中では、なんとなく観ずることはできても、その情緒や哀愁そのものまではわからない、それは例えば、団塊の世代が大好きな 美空ひばりの 真っ赤な太陽 を聞いても自分達の世代は別になんとも思わないわけだ
つまり正確にいえば、自分にとってのArt Of NoiseのMoments In Loveは人のそれとは違い自分の中にしかないわけだ
バシャールはこういった部分をとくに強調している まぁ”メロディの内的質感:クオリア”の一種なのかも知れない

 (^_^;)何がいいたいやらわからなくなりそうだが・・・とにかく自分がいいたいのは瞑想などに必要な静寂は真善美の調和のとれた心地良い自分の思い出のイマジネーションから向かうとものすごく効果的で自然である そして静寂から瞑想の目的である目的でない状態になっていくというのが理想的といえる
 
 こういった情緒や哀愁といったものは、金や経済とは全く関係ないといってしまえば語弊があるからほとんど関係ないと思われる
こういった情緒や哀愁がなくなる"きっかけが"バブル絶頂期だったな~と思えるからだ もちろん情緒や哀愁という街に流れる雰囲気は今も若干は残っている
今自分の街はある意味昔に比べて綺麗である しかしこの前街の祭りで直に伝わってきたものがある
 それはまだ20代後半時に初めてハワイにいって感じた”整理されたリゾート区画”から伝わってきた波動だ 自分は何もハワイに哀愁がないなどといっているのではなく
そのワイキキのリゾート”区画”から感じられた人工的な波動だといいたいわけだ、自分の街の祭りには もう自分が小さい頃感じた生の活気とその生々しい情緒や哀愁が一欠片も感じなかったわけだ 別な言葉でいえば炭酸が抜けたサイダーみたいなものだ こういったことを感じるのは自分が歳をとったからかな~とも思えるのだが
友達も全く同じことをいっているとこみるとやはりそうなんだと思うのである

 じゃこの街に漂う哀愁や情緒の欠如はどっからくるだろうか?昔はやはり人と人がもっと気さくに気軽に話したのである、確かにパンチパーマのウンチングスタイルをとる人はいた!確かに!祭りといえばこれが厄介な存在であった しかし何よりかにより人とひとがもっと触れ合い話しあったし 第一その祭り中心部に近い家には親戚が大勢つめかけ 盛り上がり にぎわいの本質が全然違うのだ、今は3割ほどがニコ動やブログやツイッターでみてきたという若者だ
また、端的にいってしまえば、アナログ思考の欠如がある 今やデジタル時代真っ盛りで何もかもITなどを通して区分けされ結果だけを求めている それはいいのだがコンプライアンスの元、本来区分けできない人の思いと行動が別々に処理されてしまっている 誰だってイライラくるのはあたりまえだ

 姫神の神々の詩は凄いアクセス数だ この曲にあるように ムンダクリブムとかオト シブイブム・・・まるで宇宙人(^_^;)みたいな実におもろい言葉を話していた我々日本人の祖先は、果たして人の想いがこもらない価値の交換などしていただろうか?
この動画で歓喜に溢れ踊っているものの中には当然反日分子も混じっているだろうが それにしても凄い盛り上がりようだ
なぜこれほどまでこの曲は優れているといえるのか? それはおそらく我々日本人の無意識にあるストーリー性をくすぐるからだろう
そのストーリー性とは多神教や様々な古代海洋民族と精霊を素直に認め、素朴にアナログ思考で調和させる無意識にある叡智だといえるだろう

 なんか自分が画家の山下きよしみたいに感じてきてしまったのでここまでにしておこう