まず自己紹介の続きになってしまうが 自分は過去約20年間自己流で瞑想している自称:「瞑想家」というのが本分である
何より組織が嫌いだから過去 宗教やヨーガ団体、またスピリチャル系の団体など渡りいろいろ体験したが どんな団体も自分には話にならなかった
今は唯一自己流のみだ もうそういう歳でもある 一昔前は厳密に計画を立てシステマティックに瞑想修行を積んでいたが 森林で瞑想するようになってからは考えが変わった
部屋でやるより遥かに早く三昧に到達するのだ また無意識意識全て領域において場のエネルギーというか清浄さが違うものだ
やはり部屋というのは気がこもり電磁的にごちゃごちゃしているが森林や海は違う よってよく一人で海岸線に生き瞑想したものだ
最も昔オーム事件があったころは釣り人にへんな目でみられるから ひと目をしのんでやったのであるが もちろんオームなどは眼中に無しというのは言うに及ばずだ
瞑想が深まると、テクニックもさることながらそのプロセス段階で内面に様々な現象が起こりはじめるのは周知の事実だが ある段階においてこの精霊とか妖精といった領域が存在していることがうっすらとわかってくる
例えばそれは、自分の地元の街と隣の街では雰囲気が違うと感じるのは、瞑想が深まっていない者には、それは建物や道路、また景色が違うからだと認識するだろう しかし瞑想が深まるとそうではないことがわかってくる
そう ここに精霊とか妖精が関係している それは無意識の非常に繊細な領域での現象なため説明が非常に難しいのだが、特に森や森林で瞑想すると気付くのが早いだろうと思われる また無意識の部分で人の意識の構成要素になっているのだが、書店で本をみてもこの領域のことはなかなか理解できるものではない 体験というか覚醒が必要である おっと・・・自分はだからこれが必要などというつもりはサラサラないので安心して聞いてもらいたい ただこれらについて思いきり話せる知人がいたら素晴らしいと思うのみである そこに邪心はない
自分は昔から街や県の雰囲気が違うことに高い関心があった
精霊や妖精・・・この単語を含む文をみた時 いっぱしの大人がなんかお伽話にでてくるような小人みたいなのが物理的に現実世界にウロチョロしているとは考えないだろう 何かを比喩的に表現していると思うのが常である しかし精霊や妖精というものは人や生物の無意識の構成要素であり
自分の無意識もこれを一部としているわけだ これがわかってからは瞑想そのものもさることながら この精霊や妖精の追求のほうが面白く感じられるようになってしまった おそらく自分の無意識はおそらく風元素が最も強く影響しているとみているが そこまで深い領域でなくても 森林や森の精霊や妖精というのは、森や森林で瞑想すると瞑想空間に必ずでてくるものだ
瞑想熟達者や修験者 また真言密教のお坊さんならわかるはずである 竜巻みたいなイメージとなりいろんなことを語りかけてくる 通常の人の言葉みたいなのを発する場合もあるが 何やら風来坊で接していると大変おもろく 実はこれが危ないのだ
この森林の集合的無意識は、多少なりとも人を小馬鹿にしているフシがある 接しているとついには人間やっているのが馬鹿らしくなるわけだ
そんで森林から離れたくなくなるのだ 人間の欲や知恵がバカバカしくなるわけだ それは瞬時に過去にいったかと思えば遠く時空を離れた想いを伝えてきたりまた 変幻自在に形を変え好き放題空間を凌駕している 5時間もこの連中と戯れると人間の感情に戻るのがおっくうになるというか
非常に重く感じられるようになる
これは禅でいえば 完全な魔境であり速やかに通りすぎるべき領域である(^^)
しかし面白いし パワフルである だから我の強い人にはぜひお勧めしたい 我が強くないとこの自分がいうところのこの森林での瞑想の快感をえる頃には人間に戻りたくなくなるからだ 誰もいない森林で静かに座りただひたすら心の対象を森林にむける
森林の 音 匂い 風 景色 そういった諸要素を感じている自分に集中していけば良いだけだ
ただこれは仲間とやっても駄目である 森林と対話するつもりでやらないと話にならない 静寂こそポイントだ まず3日もやれば自分がいっている意味が理解できるはずである
実はこれは瞑想にとって最高の環境なのだ おそらく戦国時代の武将などみんなこういった感覚をもっていたと思われる
ポイントは風をできるだけ肌で感じることである
しかし熊情報はぬかりなくチェックしてからにするのは言うに及ばすだ、熊に襲われても責任はもてないのであしからず この辺りは各自おのおの自己責任でとなってしまうのだが
次にすすむ段階は、これら人の集合的無意識・個人的無意識に潜む精霊や妖精といったものが実は日常でも多いに我々人間に響いていることがわかってくる どういう形で響いているか? それは気分という形態をとり密接に関連している
自分は開放的性格なためこれら精霊とか妖精の影響をもろ受けてしまい 異常なほど気分が変化する 瞑想歴が長いからこれが精霊や妖精の影響とわかるから意念ですぐコントロールできるからいいが 信じられないほど精霊や妖精というのは気分に関係している
ここまでくると実はよく言われているところの人の想念や邪念恨み辛みなどはこの精霊とか妖精といったものが媒介している
そう!精霊とか妖精というのは 人や生物の意識空間つまりアカーシャと言われる場の相で形を与える役割を担っているのである
まぁ媒体というと語弊があるかもしれないが すこぶるそれに近いと思われる
自分はこの精霊を制御して 医者から手術しないと手遅れと言われた重大な病を直したのでこれには自信がある
だから骨折とか明らかな物理的病気や怪我でない以上意念で治せる自信があるが まだまだ修行不足だし他人に通用するかどうかはわからない
ただ 言えることは瞑想でこの精霊を認識できる段階に至った人ならできるはずである
最近よくネットでタルパ作成とか識神を作るとかあるがこれも原理はこの精霊や妖精といわれる要素である
だからこの精霊や妖精といった要素は 本当はスピリチャルを扱う宗教や団体は多いにとりあげてしかるべきものだといっておこう
自分はここに全くスポットをあてていない宗教なりスピリチャルは偽物と判断している
それが証拠に非常に高度な空海の真言密教は、このあたりをバッチリ解説している いゃ解説というよりそれを如来や菩薩や天になぞらえ表現しているわけだが、以前いつも思ったことは、宗教にせよ何にせよこの精霊や妖精というものを取り上げているものと 全くそうでないものの違いは何なんだ?とよく疑問に思った 今はその真相がわかるというものだ
例えば自分は、愛たら平和たら道徳的な言葉は大嫌いだ 人間欲があるんだからそんなことはいくらいっても虚しいだけだ そんなことは口にだして言うほど薄れるというものだ そうではなく 自分はそういうのはダサいとか見苦しいとか気持ちわるいという想いである
つまり人を傷つけることは、愛とか平和とか・・・とか言う前に人を傷つけることは気持ち悪い あるいは見苦しい ダサいと心底思えるかどうかなのである これほど直接的でダイレクトなことはない 人を傷つけることは気持ち悪いから 愛たら平和という以前のもっとダイレクトな問題だということである そうしない限りイジメなどなくなるはずもないのだ 本能的に人を傷つけることが、気持ち悪い 見苦しくて到底できない というか・・・
生理的にうけつけない となってはじめてイジメなどなくなるのであり 魂もワンランクアップである
またこういったことが認識できる人が増えると社会にくさい芝居がかったことがどんどん減っていくだろうと思う
こういった認識が深まったとき 社会は見苦しい資本主義を脱皮して真の創造主義社会へ変貌するのである
それには実はこの精霊とか妖精とかいう ちんこいへんだけど非常におもろい いとあいらしい存在が実は関係しているのだ
いゃいゃ こうやって癖のあることを言うと現代人はへんな奴とみるだろうから 言っておく自分は何かの団体に勧誘しているのでもなければ
何かを売りつけようとしているのでもないのだ 自分の趣味はおもろいことは追求するそれだけだ
中学から高校にかけて夢の中でこれは夢だと気付き 夢の世界で自由に意識的に世界を作り出し遊んだのが人生で最もおもろかったのだが
大人になったらそれができなくなってしまったため 瞑想に励みそういう本来の自分に帰ろうとしているだけだ
これほどおもろいことはないからだ しかしその過程でこの精霊や妖精なるものがだんだんわかってきた
この連中はまず静寂を好み ふっとしたことで顔をだし綺麗に鮮やかに人を誘う側面がある
そのきっかけとなったのは植物というか森林だ 話は元に戻るが先に話した 森林での瞑想は非常に愉快でパワフルであることをもう一度いっておくくだらないものに熱をあげるくらいなら 森林と遊ぶほうがよっぽどおもろいし ふっと気付くともはや人間の意識ではなくなってしまい感情が重く感じられる自分になっているのを発見するだろう その時精霊や妖精の世界の認識が格段にアップしているのである
しかしくれぐれも自己責任でやってくれということと それで人間やーめたになってしまっては駄目なことは言うまでもいこと
いっておくが森林や野原の精霊や妖精というのは人間を邪魔者とまではいかないが、かんばしくとらえていないし そもそも馬鹿にしている部分があるためそれに気づくことが先決だ そうしないとその誘惑というか幻惑に負けてしまうから注意しておく必要がある また森林で瞑想する場合は天気がよく清々しい日に太陽がでて心地よい午前か夕方がベストだというのは言うまでもないことだ
あくまでひとつの体験として さらに哲学を深める材料にするべきである
こんなもん書くつもりでなかったのに、自分も寂しい中年のおっちゃんになったためか書いてしまった 興味のある人や精霊や妖精の認識がわかる人は是非ともコメントまたはメールしてください また共感できると思った人は遠慮せず気軽に質問やメールしてください
但し論戦には興味ありませんのであしからず
何より組織が嫌いだから過去 宗教やヨーガ団体、またスピリチャル系の団体など渡りいろいろ体験したが どんな団体も自分には話にならなかった
今は唯一自己流のみだ もうそういう歳でもある 一昔前は厳密に計画を立てシステマティックに瞑想修行を積んでいたが 森林で瞑想するようになってからは考えが変わった
部屋でやるより遥かに早く三昧に到達するのだ また無意識意識全て領域において場のエネルギーというか清浄さが違うものだ
やはり部屋というのは気がこもり電磁的にごちゃごちゃしているが森林や海は違う よってよく一人で海岸線に生き瞑想したものだ
最も昔オーム事件があったころは釣り人にへんな目でみられるから ひと目をしのんでやったのであるが もちろんオームなどは眼中に無しというのは言うに及ばずだ
瞑想が深まると、テクニックもさることながらそのプロセス段階で内面に様々な現象が起こりはじめるのは周知の事実だが ある段階においてこの精霊とか妖精といった領域が存在していることがうっすらとわかってくる
例えばそれは、自分の地元の街と隣の街では雰囲気が違うと感じるのは、瞑想が深まっていない者には、それは建物や道路、また景色が違うからだと認識するだろう しかし瞑想が深まるとそうではないことがわかってくる
そう ここに精霊とか妖精が関係している それは無意識の非常に繊細な領域での現象なため説明が非常に難しいのだが、特に森や森林で瞑想すると気付くのが早いだろうと思われる また無意識の部分で人の意識の構成要素になっているのだが、書店で本をみてもこの領域のことはなかなか理解できるものではない 体験というか覚醒が必要である おっと・・・自分はだからこれが必要などというつもりはサラサラないので安心して聞いてもらいたい ただこれらについて思いきり話せる知人がいたら素晴らしいと思うのみである そこに邪心はない
自分は昔から街や県の雰囲気が違うことに高い関心があった
精霊や妖精・・・この単語を含む文をみた時 いっぱしの大人がなんかお伽話にでてくるような小人みたいなのが物理的に現実世界にウロチョロしているとは考えないだろう 何かを比喩的に表現していると思うのが常である しかし精霊や妖精というものは人や生物の無意識の構成要素であり
自分の無意識もこれを一部としているわけだ これがわかってからは瞑想そのものもさることながら この精霊や妖精の追求のほうが面白く感じられるようになってしまった おそらく自分の無意識はおそらく風元素が最も強く影響しているとみているが そこまで深い領域でなくても 森林や森の精霊や妖精というのは、森や森林で瞑想すると瞑想空間に必ずでてくるものだ
瞑想熟達者や修験者 また真言密教のお坊さんならわかるはずである 竜巻みたいなイメージとなりいろんなことを語りかけてくる 通常の人の言葉みたいなのを発する場合もあるが 何やら風来坊で接していると大変おもろく 実はこれが危ないのだ
この森林の集合的無意識は、多少なりとも人を小馬鹿にしているフシがある 接しているとついには人間やっているのが馬鹿らしくなるわけだ
そんで森林から離れたくなくなるのだ 人間の欲や知恵がバカバカしくなるわけだ それは瞬時に過去にいったかと思えば遠く時空を離れた想いを伝えてきたりまた 変幻自在に形を変え好き放題空間を凌駕している 5時間もこの連中と戯れると人間の感情に戻るのがおっくうになるというか
非常に重く感じられるようになる
これは禅でいえば 完全な魔境であり速やかに通りすぎるべき領域である(^^)
しかし面白いし パワフルである だから我の強い人にはぜひお勧めしたい 我が強くないとこの自分がいうところのこの森林での瞑想の快感をえる頃には人間に戻りたくなくなるからだ 誰もいない森林で静かに座りただひたすら心の対象を森林にむける
森林の 音 匂い 風 景色 そういった諸要素を感じている自分に集中していけば良いだけだ
ただこれは仲間とやっても駄目である 森林と対話するつもりでやらないと話にならない 静寂こそポイントだ まず3日もやれば自分がいっている意味が理解できるはずである
実はこれは瞑想にとって最高の環境なのだ おそらく戦国時代の武将などみんなこういった感覚をもっていたと思われる
ポイントは風をできるだけ肌で感じることである
しかし熊情報はぬかりなくチェックしてからにするのは言うに及ばすだ、熊に襲われても責任はもてないのであしからず この辺りは各自おのおの自己責任でとなってしまうのだが
次にすすむ段階は、これら人の集合的無意識・個人的無意識に潜む精霊や妖精といったものが実は日常でも多いに我々人間に響いていることがわかってくる どういう形で響いているか? それは気分という形態をとり密接に関連している
自分は開放的性格なためこれら精霊とか妖精の影響をもろ受けてしまい 異常なほど気分が変化する 瞑想歴が長いからこれが精霊や妖精の影響とわかるから意念ですぐコントロールできるからいいが 信じられないほど精霊や妖精というのは気分に関係している
ここまでくると実はよく言われているところの人の想念や邪念恨み辛みなどはこの精霊とか妖精といったものが媒介している
そう!精霊とか妖精というのは 人や生物の意識空間つまりアカーシャと言われる場の相で形を与える役割を担っているのである
まぁ媒体というと語弊があるかもしれないが すこぶるそれに近いと思われる
自分はこの精霊を制御して 医者から手術しないと手遅れと言われた重大な病を直したのでこれには自信がある
だから骨折とか明らかな物理的病気や怪我でない以上意念で治せる自信があるが まだまだ修行不足だし他人に通用するかどうかはわからない
ただ 言えることは瞑想でこの精霊を認識できる段階に至った人ならできるはずである
最近よくネットでタルパ作成とか識神を作るとかあるがこれも原理はこの精霊や妖精といわれる要素である
だからこの精霊や妖精といった要素は 本当はスピリチャルを扱う宗教や団体は多いにとりあげてしかるべきものだといっておこう
自分はここに全くスポットをあてていない宗教なりスピリチャルは偽物と判断している
それが証拠に非常に高度な空海の真言密教は、このあたりをバッチリ解説している いゃ解説というよりそれを如来や菩薩や天になぞらえ表現しているわけだが、以前いつも思ったことは、宗教にせよ何にせよこの精霊や妖精というものを取り上げているものと 全くそうでないものの違いは何なんだ?とよく疑問に思った 今はその真相がわかるというものだ
例えば自分は、愛たら平和たら道徳的な言葉は大嫌いだ 人間欲があるんだからそんなことはいくらいっても虚しいだけだ そんなことは口にだして言うほど薄れるというものだ そうではなく 自分はそういうのはダサいとか見苦しいとか気持ちわるいという想いである
つまり人を傷つけることは、愛とか平和とか・・・とか言う前に人を傷つけることは気持ち悪い あるいは見苦しい ダサいと心底思えるかどうかなのである これほど直接的でダイレクトなことはない 人を傷つけることは気持ち悪いから 愛たら平和という以前のもっとダイレクトな問題だということである そうしない限りイジメなどなくなるはずもないのだ 本能的に人を傷つけることが、気持ち悪い 見苦しくて到底できない というか・・・
生理的にうけつけない となってはじめてイジメなどなくなるのであり 魂もワンランクアップである
またこういったことが認識できる人が増えると社会にくさい芝居がかったことがどんどん減っていくだろうと思う
こういった認識が深まったとき 社会は見苦しい資本主義を脱皮して真の創造主義社会へ変貌するのである
それには実はこの精霊とか妖精とかいう ちんこいへんだけど非常におもろい いとあいらしい存在が実は関係しているのだ
いゃいゃ こうやって癖のあることを言うと現代人はへんな奴とみるだろうから 言っておく自分は何かの団体に勧誘しているのでもなければ
何かを売りつけようとしているのでもないのだ 自分の趣味はおもろいことは追求するそれだけだ
中学から高校にかけて夢の中でこれは夢だと気付き 夢の世界で自由に意識的に世界を作り出し遊んだのが人生で最もおもろかったのだが
大人になったらそれができなくなってしまったため 瞑想に励みそういう本来の自分に帰ろうとしているだけだ
これほどおもろいことはないからだ しかしその過程でこの精霊や妖精なるものがだんだんわかってきた
この連中はまず静寂を好み ふっとしたことで顔をだし綺麗に鮮やかに人を誘う側面がある
そのきっかけとなったのは植物というか森林だ 話は元に戻るが先に話した 森林での瞑想は非常に愉快でパワフルであることをもう一度いっておくくだらないものに熱をあげるくらいなら 森林と遊ぶほうがよっぽどおもろいし ふっと気付くともはや人間の意識ではなくなってしまい感情が重く感じられる自分になっているのを発見するだろう その時精霊や妖精の世界の認識が格段にアップしているのである
しかしくれぐれも自己責任でやってくれということと それで人間やーめたになってしまっては駄目なことは言うまでもいこと
いっておくが森林や野原の精霊や妖精というのは人間を邪魔者とまではいかないが、かんばしくとらえていないし そもそも馬鹿にしている部分があるためそれに気づくことが先決だ そうしないとその誘惑というか幻惑に負けてしまうから注意しておく必要がある また森林で瞑想する場合は天気がよく清々しい日に太陽がでて心地よい午前か夕方がベストだというのは言うまでもないことだ
あくまでひとつの体験として さらに哲学を深める材料にするべきである
こんなもん書くつもりでなかったのに、自分も寂しい中年のおっちゃんになったためか書いてしまった 興味のある人や精霊や妖精の認識がわかる人は是非ともコメントまたはメールしてください また共感できると思った人は遠慮せず気軽に質問やメールしてください
但し論戦には興味ありませんのであしからず
