根っこの会(日本共産党小金井西北支部の地域後援会)

根っこの会(日本共産党小金井西北支部の地域後援会)

根っこの会(東京都小金井市の日本共産党西北支部地域の日本共産党後援会)のブログです。一人一人が主人公になる日本共産党後援会を目指しています。「しんぶん小金井」やたゆ久貴市議会議員の活動、などの市政報告・地元の自然・季節の話題・イベントなどお知らせします。

小金井でもぶれずに70年 日本共産党

昨年は小金井で日本共産党議員が誕生してから70周年でした。

「根っこの会」の懇談会の内容をもとに、小金井の日本共産党の70年をおおまかに、小金井育ちの関根の体験も振り返り、市政の勉強成果をちょっと加えて、メモにしてみました。お目通しいただけたら幸いです。

2026年1月20日文責・関根ゆうじ☏090-3009-9387

 

(はじめに)

貫井神社にあるふたつの戦争の「碑」によると、日露戦争「紀念碑」では貫井からの出征兵士22名中、「故」人となられた方、つまり戦没者は1名と記されています。一方、第二次世界大戦戦没者慰霊の「平和の碑」では、貫井だけで戦没者28名のお名前が記されています。当時小金井全体で3,600世帯16,000人でした。80年前、終戦当時の小金井の人たちはほとんど「もう二度と戦争は嫌だ」と思われていたのではないでしょうか。

小金井の戦後はここから始まったのではないかと私は思います。

以下、小金井で日本共産党が初議席を得た後の小金井市議会議員選挙の日本共産党の当選者数とそのころの出来事や私個人の体験も簡単に書きます。訂正のご指摘やご意見頂けると嬉しいです。(◎議会・選挙★行政☆市民)

 

1 日本共産党の初議席獲得から

革新都政・革新市政誕生までの16年間

 

(前史)<1955年・昭和30年4/30

最後の町議会議員選挙で日本共産党西田光作初当選。>

◎西田光作さんは貫井北町一丁目の「弁天踏切」近くでミニスーパー兼八百屋さんをされていました。日本共産党中央が分裂し国民の支持が激減した時代に、小金井で市議会議員を当選させたのはすごいことだと思います。西田さんは、1971・S46年議員勇退。その後は民商会長もされました。

  (S33・10.1~S42.4.30 市長鈴木誠一)   

 

第一回市議会議員選挙<1959・昭和34年・(当選者一人)西田光作>

☆1962・S37年2月26日「し尿汲み取り料金値上げ反対」請願代表者東町・清水次郎(子どもさんの一人は現根っこの会会員)紹介議員西田光作。

 

<1963年・昭和38年・(当選者二人)西田光作・朝倉篤郎>

◎朝倉さんは、農家の牛豚相手の獣医さんでした。

 

(1964年に関根はできたばかりの前原小学校に最初の一年生として入学。開校当初、先生方は全員日教組に入っておられたと議員になってから聞く。前原小・小金井二中時代、先生も子どもたちもたのしくのびのびと学校生活を送っていたように思う。非行に走るような子は僕の同級生ではほとんど記憶に無い。「非行少年」が群れて遊ぶ「繁華街」もなかったからか。そんな時代でした。☆1965年・昭和40年頃、関根が住んでいた前原小横の木造都営住宅は、毎年のように台風で野川があふれ床上浸水になりました。野川はずっと昔から「暴れ川」だったようです。)

 

☆同年6月25日、会員127名。事務局員2名で小金井民主商工会結成。☆夏の原水爆禁止世界大会へ向けた「平和行進」もこのころすでに行われていたようです。

 

<1967年・昭和42年(当選者3人)西田幸作・朝倉篤郎・若木いつえ>

☆小金井市は市民運動が昔から活発な市ですが、すでにこの頃市川房江さんが講師として小金井にも足を運んでくれることが少なくなかったようです。それは、呼ぶ人もいたということです。若木さんも議員になる前から住民要求を取り上げた運動をして、議会傍聴も積極的にされていたようです。

(S42.5.1~S46.4.30市長 関綾二郎)

 同年美濃部革新都政誕生

 

(関根は革新都政の「青空バッチ」を、小学生のころは「議員バッチ」や「弁護士バッチ」と同じ「学校の先生のバッチ」と信じて疑わなかった。)

 

◎1969、S44都議選で共産・朝倉篤郎当選

 

<1971年・昭和46年3月(当選者5人)>

若木いつえ(唯一人二期目、あと4人は新人)

小峰一雄(蛇の目ミシン労組出身・会社で「ガラスの檻(おり)」に入れられ差別されても頑張ったと聞いています。

大鳥龍男(統一劇場出身)

板橋敬冶(市役所職員労働組合出身)

井上忠男(党専従)

 

◎初代井上選対本部長は電波研(現通信総研)労組の創立メンバーのKさんであったことや、日本共産党市議の出身を見たりすると、劇団、住民運動、民間企業の労組・市役所の労組と、小金井市でどんな運動が活発だったか推察できるかと思います。◎西田光作さんの次に、貫井北町・本町4・5丁目、桜町などを地盤にした議員は大鳥龍男さんでした。

 

同年永利革新市政誕生。(S46.5.1~S54.4.30)

 永利友喜市長は前社会党小金井市議。国労出身と聞いています。

 

(この年関根は4月から二中の2年生になる。木造校舎最後の世代だった。

 

「 めぐらす森の色深く 

続く広野のはてしなき 

小金井の朝 麗しや 

我ら歌わん『愛と学』

ともに睦みて 正しきを 

踏みて行かなむ いざ我ら 」

 

今でも時々思い出し口ずさむ、この二中の校歌は名曲だと思う。)

(メロディーは二中のホームページをご覧ください。)

 

◎このころ国政でも日本共産党は「70年代の遅くない時期に民主連合政府を」と党大会で決定し、目標とした。

 

2 二期八年の革新市政(共産党が与党だった時代)

 

◎☆二期八年の革新市政は、小中学校3校と保育園3つをつくり、他にも図書館・青少年センターの建設・下水道整備など、都市部の人口が10万人の市に必要な施設・設備を基本的につくりあげました。

 

◎☆シャトー小金井などのマンションの日照権問題(S46)、公害問題などの対応も。

 

◎☆市民運動でも、保育園・給食・学童・「こども文庫」運動・野川とくじらやまとはらっぱ(朝倉都議提案・南小建設時の処理残土を隣の武蔵野公園に盛りくじらやまを造った)の整備◎☆滄浪泉園・栗山公園・浴恩館公園の保全運動。女性(市川房江の影響があった)・障がい者・難病者などの運動も活発に。

 

☆1970年ころ「平和盆踊り」始まる。

 

◎1971・S47 貫井北町し尿処理中継所問題おこり、地元還元施設として、「北町集会所」設置される。

 

<1975年・昭和50年(このころ人口10万人を超える)>

(当選者5人)若木・小峰・大鳥・井上・板橋

 

◎選挙直前に、革新市政与党の社会党市議団分裂。

 

☆昭和51年9月9日定例会初日台風17号の水害が発生。関根の住んでいた木造平屋の都営住宅は、20~30cm床を上げる工事をしたので、この頃床上浸水した記憶はない。)

 

☆「小金井の女性史」によれば、「障害児の親の会」の中心的役員の方が貫井北町に複数おられました。)

 

(革新市政の職員増問題)

「革新市政が職員を大量採用したので人件費が膨らみ、その後市財政が大変になった」と言われました。当時、都市部の革新自治体は人口急増に対応するという時代の課題に応えた施策を行い、それに伴い職員を多数採用しました。このころの地方自治体の職員増加は全国的傾向でした。しかし、2度にわたり約100人の職員採用という小金井の個別の事態もありました。

大きな汚職問題で解散となったごみ収集の多摩清掃公社職員の約100人の採用はやむなきことでした。保守市政時代、バキュームカーでし尿を汲み取りに来る職員に「ハイライト2箱渡すときれいにくみ取ってくれるが、渡さないと適当にやっていく」と関根の母もこぼしていた。「直営化して公務員になったらハイライトは絶対受け取らないで全部きれいにくみ取ってくれるようになった」と聞かされた。

 

歴史の高みに立って過去を裁くようなことは賛成できませんが、もうひとつの職員大量採用の、夜間警備・事務の約百名の非常勤職員の正規採用は後の時代に課題を残したものかと思います。

 

3 再び保守市政へ(1979年~1999年・20年間)

1979年・S54からの保守市政は、大金を投じる大型公共事業推進と福祉教育予算は「その次」ともとれる運営されていきます。日本共産党は、東小金井駅北口区画整理と武蔵小金井駅南口の再開発に巨額の税金投入する計画には反対。中央線高架化は「開かずの踏切解消」のため賛成の立場で、市民とも力を合わせて運動を進めました。

 

<1979年昭和54年(当選者5人)若木・小峰・大鳥・井上・板橋

 保守・星野市長当選(S54.5.1~S56.5.1)。

◎日本共産党大鳥龍男・井上忠男両議員が抜群の調査力を発揮し、公的出張に女性を同伴した星野市長を追及。その結果、辞職勧告決議を可決された市長が議会を解散し、市議選へとなった。

 

<1981・S56(当選者5人)若木・小峰・大鳥・井上・板橋>

保立 旻 市長(S56.5.8~S62.3.5)

 

都議選・日本共産党朝倉篤郎当選

 

<1985・S60(当選者5人)

 長谷川博道初当選(小金井民商出身)・若木・井上・大鳥・小峰> 

 

☆◎★このころから市民の運動が力となり雨水浸透桝設置に市は取り組み始める。市民・行政・下水道業者が力を合わせその後「世界一の設置率」と言われるようになった。野川が今も流れているのは明らかにこのおかげです。

(S62.4.25~H11.4.25 大久保真七市長)

 

<1989・H1(当選者5人)

森戸よう子初当選(元民青中央委員)・長谷川・井上・大鳥・小峰

 

1989年(H1)中国天安門事件、1991年(H3)ソ連の崩壊による「資本主義万歳論」が世界を覆う困難な情勢となりました。

☆1990年8月:市役所の職員組合が、自治労市職と市職労に分かれる。

 

<1993・H5(当選者5人)

板倉真也初当選(あかつき印刷出身・前全印総連労組青年婦人部書記長)

・森戸長谷川・井上・大鳥

 

1995・H7東小金井駅北口区画整理都市計画決定

 

★このころ?リース庁舎問題。広大な「蛇の目跡地」を庁舎建設予定地として購入しておいて、一日百万円の「リース庁舎」を借りることを決定。庁舎問題とごみ処理施設問題は保守市政の無計画さの象徴となる。

 

<1997・H9(当選者5人)板倉・森戸・長谷川・井上・大鳥>

 

◎赤旗主張所アルバイトの関根が初めて選挙に立候補・落選。(1997都議選・共産躍進都議会27議席へ。「共産熱風首都焦がす」と報道された。)。

 

◎1999・H11・関根市議補選立候補・落選(大鳥市長候補)

稲葉市長当選 (1999H11.4.26~2009・H21.4.25)

 

◎元市議会議長S議員、障碍者補助金不正還流疑惑問題で辞職。

 

◎2001年参院選で日本共産党井上美代当選。

 

 

4 21世紀の四半世紀(2000年~2025年の26年間)

 

<大型公共事業優先・市民生活の施策は民間委託と『行革』推進。

 

20004月介護保険制度発足。福祉制度が行政の措置から個人との契約へ、また、高齢化社会に対応する制度への転換点となりました。

 

★2000年・H12・1/31東小金井駅北口区画整理事業計画認可。

 

<2001・H13(当選者4人。一人落選。)

関根初当選(赤旗出張所アルバイト出身)・板倉・森戸・井上>

◎関根は大鳥さんの地盤引き継ぐ。定数26から24へ。共産5から4へ。

 

◎後半二年間は共産井上忠男が市議会議長(共産党初の議長)

 H14年9月武蔵小金井駅南口第一地区再開発事業計画認可。

 

★<中央線の高架化工事>2003(平成15)年の第1回切替時には、事前に作成されていた工事計画資料が間違っているなどのミスにより、工事が予定時間内に終わらず交通手段が無くなるなど大混乱となりました。波乱の幕開けでしたが、2010(平成22)年11月に全区間の高架化は完了しました。

 

★2005年議員提案で「地下水と湧水を保全する条例」を策定。日本共産党市議団から関根が代表で実現のための調査や他会派との交渉に当たりました。PFASの地下水汚染問題が起こり、この条例があって良かったと思う。

 

 <2005・H17・(当選者4人)関根・板倉・森戸・井上>

 

◎前半二年は森戸よう子議長

・森戸議員は、議長になる以前、市議会議員で初の産休をとる。初の女性議長。再開発予算議長採決で否決。再開発予算否決を受け、稲葉市長は辞職して民意を問うとした市長選挙で再選したが、再開発予算は議会を通らず。次の市議選で議会構成が変わるまで再開発予算は通らず。最高裁で「地方自治法違反」と判決が確定した「予算の流用」をして再開発を強行。

 

◎☆★このころ給食・学童民間委託問題・小金井のごみ処理施設二枚橋焼却場の操業停止後の処理計画を小金井だけ決められないという問題起こる。

 

◎同年1月再開発第一地区事業計画認可。総事業費302億円。当時の小金井の一般会計予算額に匹敵。また、再開発第二地区に市庁舎作る案に反対する市民の住民投票を求める直接請求運動がおこり市は撤回に追い込まれる。                                 

 

<2009・H21(当選者4人)

水上ひろし初当選(前党杉並地区副委員長)・関根・板倉・森戸>

 

(2009.H21.4.27~11.12佐藤市長)

◎「ごみ処理経費は無駄遣い」の公約の文言で他市との関係が悪化し、佐藤市長半年余りで辞任。稲葉市長復活。三多摩中にご迷惑をおかけした「ごみ問題」では共産党は保守市政の計画性の無さを批判しつつ市民生活は守る対応をしました。

 

(2009.H21、12.18~2015.H27.12.17再度 稲葉市長)

 

★2010(H22)年11月に全区間の中央線高架化が完了しました。

 

★2012年・H24/3 再開発第一地区工事完成・完了

 

<2013・H25(当選者4人)水上・関根・板倉・森戸 >

(2015.12.18~2022.10.14 西岡市長)

 

☆★2014年(H16)市内に23年ぶりに図書館と公民館がある貫井北地域センターが設置されました。日本共産党も長く求め続けてきたものです。第一回センター祭りは大鳥龍男さんが実行委員長でした。

 

☆2015年~こがねいピースアクション始まる (国会を取り巻く戦争法反対のデモ・集会。若者の「シールズ」の運動がおこった年でした。)

 

★2015年(H27)日野市・国分寺市・小金井市で燃やすごみの共同処理のための「浅川清流組合」発足。

 

<2017・H29(当選者4人)

たゆ久貴(民医連歯科診療所事務出身)初当選・水上・板倉・森戸>

 

★はけの緑と野川の自然を壊す都市計画道路建設問題、〇障碍者団体補助金不正還流疑惑で市議辞職したS氏の保育園補助金不正受給問題など起こる。

 

2020年5月武蔵小金井駅南口再開発第二地区完成・終了

 

<2021・R2(当選者4人)寺内(1年後辞職)・たゆ・水上・森戸>

 R2/12月武蔵小金井駅北口再開発都市計画決定

庁舎建設問題住民投票直接請求運動起こる。

 

2021年と2025年の都議選で日本共産党も推薦した漢人あきこ当選。

 

2022・R6 10.14 西岡市長保育園問題で辞任。11.27~白井市長へ 

 

白井市長、道路・市庁舎建設・保育園廃園反対など主要な公約反故に

 

<2025・R7(当選者3人)たゆ・水上・森戸>

   保育園定数削減・民間委託問題が裁判へ

 

5,日本共産党は小金井市で70年間・・・

◎少なくとも、一貫して市民とともに、市民要求実現の先頭に立つ努力をしつづけてきた。また、積極的に住民運動・市民運動に取り組んできました。

◎与党のとき(革新市政の8年間)もぶれずにがんばった。

 

◎日本共産党は「日本の政治をこのように変えていく」という「綱領」と政策体系を持ち、国会と地方議会に「議員団」をもち、市民運動・労働運動とも連携を持って活動しているところが強みだと思います。

 

◎日本共産党は今後も市民とともに、くらし・福祉・平和第一に活動を続けます。

 

(最後におふたりの人の日本共産党を表している言葉をご紹介いたします)

 

★田村智子さん「私にとって日本共産党は『あきらめない生き方』です。」

(日本共産党創立103周年記念講演)

 

★志位和夫さんはマルクス研究者の齊藤幸平さんとの対話の最後に★「人生の反省点は?」と聞かれ「家族との時間をもっと大事にすべきだったとかいろいろある。今からでも家族との時間を大切にしたい。これからの社会は総理大臣でもそういうことがあたりまえの社会にしていかなければならない」★「三十数年党首として頑張ってこれた理由はなんですか?」との問いには「うーん、すこしでも困っている人を助けたい、という気持ちですね。国民の苦難の軽減は日本共産党の立党の精神ですから。」と答えました。