私の父は、私が2歳の時、「赤紙」1枚で召集され、フィリピンのレイテ島で戦死しました。父の訃報が届いたときはまだ5歳でした。私には父の思い出がありません。あの時代、母は自分の幸せなど、何一つ求めることなく、私と姉を必死で育ててくれました。子ども心にも母の背中を見ていて、戦争は嫌だ、2度と戦争を起こしてはならない、と思いました。この思いが私の政治家としての原点です。戦争を知らない人たちが国民の8割近くを占めるようになりました。だからこそ戦争を知っている私たちのような世代の役割は大きいと思っています。<続く>
【2013年6月2日付「赤旗」日曜版に掲載】