私は、終戦の4ヶ月前の昭和20年4月7日に三重県の四日市で生まれました。B29の本土空襲で実家のあった名古屋市は全焼、疎開先の三重県四日市のお寺も焼け出され、“火の海”の中をおんぶされて逃げ、九死に一生を得ました。その時に左手の甲を火傷し、今も薬指が曲がったままです。

 私は、この侵略戦争に命がけで反対した
日本共産党に19歳で入党しました。それから早いもので49年近くになりました。安倍内閣は憲法9条改定に前のめりになっていますが、これはアメリカの強い意向に答えるものです。戦争体験の最後の被害者である私は、2度と戦争できる日本を作らせないために、残りの生涯をかけて闘うことを改めて決意しています。