きょう1月21日は「久女忌」。<こだまして山ほととぎすほしいまま>の絶唱で知られる女性俳句の先覚者、杉田久女の命日です。▼俳句があだ男性の文芸だった大正初期、高浜虚子は女性の投句を促がそうと、主宰する俳誌『ホトトギス』に台所雑詠欄を設けます。次兄の影響で俳句を作り始めた久女の句が初めてこの欄に載ったのが1917(大正6)年、27才の時でした。▼かあどに火をおこし、たらいで洗濯する時代。幼い子を抱えて句会への参加もままならない久女は<花衣ぬぐや纏(まつ)わる紐(ひも)いろいろ>などの名句を生み出しながらも、家庭との両立の壁にぶつかります。「男は仕事、女は家庭」と信じる夫との確執。<足袋つぐやノラともならず教師妻>

▼ノラとはイプセンの戯曲『人形の家』の主人公で、夫の家を出て自立を選んだ女性。松井須磨子がノラを演じて好評博した1911(明治44)年は平塚らいてうらによって『青踏』が創刊された年であり、女性たちが1人の人間として自由に生きる道を模索する動きが始まっていました。▼久女もあた俳句に心血を注ぐことで、精神の自由を獲得したかったのかもしれません。自句について「何人の言にお決して服従せず」と主張するいちずさ。しかし、師の虚子に疎まれて「ホトトギス」同人を除名され、1946年、失意のうちに55歳で亡くなりました。<後略>