与謝野晶子の反戦詩「君死にたもうことなかれ」に曲をつけた女性作曲家の草分け、吉田隆子。よくぞ掘り起こしてくれました。1910年、軍人の家に生まれた隆子は、独学で作曲を学びます。大正デモクラシーの影響のもと、モダンガールを謳歌(おうか)した青春。社会の悲惨な現実を知る中でプロレタリア音楽同盟(PM)に身を投じます。

 戦時色が強まる時代、虐殺された作家・小林多喜二追悼曲など民衆の立場に立ち、戦争批判の作品を発表。PM解散後も生涯の伴侶、劇作家・久保栄の勧めで「楽団創生」を設立、タキシード姿でタクトを振り、大衆の喝采を浴びます。

 権力は隆子に4度の拘留生活を強いますが、弾圧されても、膝を屈しません。戦意高揚の音楽があふれる中、反戦を貫く凛(りん)とした姿を浮かびあがらせます。その作品には、確かな技能と情熱があふれています。音楽と平和への志は、56年に46歳の生を終えるまで変わりませんでした。

 小宮多美江や辻浩美らの研究成果も取り入れた丁寧な作り。戦前の反戦活動がテレビで紹介されることはまれです。隆子の志に感心し、光を当てた政策陣に敬意を表したい。

【2012年9月3日付しんぶん赤旗に掲載】

松下ゆたかのコメント 私としたことが、大失策でした。2日付の「赤旗」に載った吉田隆子の記事を見落とし、ETVの番組も見ていませんでした。妻が「すっごく良かったよ」と感想を語るのを聞いて悔しくて・・。吉田隆子という作曲家がいたこと自体知りませんでした。妻の話を聞いただけでも非情に情熱家で作曲の能力も抜群だったようです。4度の拘留で体調を崩し、46歳の若さで亡くなってしまい、その才能が開花せず残念です。多喜二の葬送曲をつくりながらも、官憲の妨害で止められてしまったそうで、惨いことをすると思いました。埋もれていた吉田隆子を掘り起こし、テレビ放映まで努力された関係者に敬意を表するとともに、ぜひ再放送の機会をつくってください。