尖閣諸島の存在は、古くから日本にも中国にも知られており、中国の明代や清代の文献にも登場します。しかし、日中どちらのにも、同諸島に住民が居住していた記録はありません。日本共産党の「見解」は、「近代にいたるまで尖閣諸島は、いずれの国の領有にも属さず、いずれの国の支配も及んでいない、国際法でいうところの『無主の地』であった」と指摘しています。

 その後、尖閣諸島を探索した日本人の古賀辰四郎氏が1885年に同島の貸与願いを申請。日本政府は、沖縄県などを通じてたびたび現地調査を行った上で、1895年1月の閣議決定で尖閣諸島を日本領に編入しました。「見解」は、「歴史的には、この措置が尖閣諸島に対する最初の領有行為である。これは、『無主の地』を領有の意志をもって占有する『先占』にあたり、国際法で正当と認められている領土取得の権限の1つである」と述べています。

 中国側は現在、尖閣諸島の領有権を主張していますが、その最大の問題点は、「中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議も行っていないという事実」(見解)です。

 中国側は領有権の主張の根拠に、日清戦争(1894~95年)に乗じて日本が不当に尖閣諸島を奪ったという点をあげています。日清戦争で日本は、台湾とその付属島しょ、澎湖列島などを中国から不当に割譲させて、中国への侵略の1歩をすすめました。問題は、尖閣諸島がこの不当に奪取した領域に入るかどうかです。この点について「見解」は当時の経過を詳細に検討しています。

 「見解」は、日清戦争の講和条約(下関条約)の経過からみて、①尖閣領有の宣言が交渉開始の2ヶ月ほど前であること、②条約は尖閣について一切言及していないこと、③交渉過程で中国側が抗議した事実はないこと、④条約締結後の交換公文で台湾付属島しょに含まれていないことーーをあげ、「日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった」としています。
【2012年8月18日付しんぶん赤旗に掲載】