きょう15日は、アジア諸国に侵略戦争を行った日本が連合国に降伏した1945年8月15日から67周年の終戦記念日です。日本共産党市田忠義書記局長は談話を発表しました。
※談話の全文は、共産党中央委員会のホームページを参照してください。

 
市田氏は談話で、戦争犠牲者への哀悼の意と二度と戦争を起こさせないと決意を表明しました。発効60年となる日米安保条約廃棄してこそ、基地問題の解決の道も、日本と東アジアの安全保障の道も開かれると強調。原発からの撤退に力を尽くし、「核兵器のない世界」を実現するため全力をあげると決意を述べています。
【2012年8月15日付しんぶん赤旗に掲載】

松下ゆたかのコメント 私は終戦の年の4月7日に出生しました。実家のあった名古屋の街が全焼し、疎開先の三重県四日市市のお寺も焼かれ、火の粉の飛び交う中をおんぶされ逃げて九死に一生を得ました。左手の薬指は、その時の火傷でいまもケロイドで曲がったままです。私は特に、戦争終結の決断が遅すぎたことを許せません。少なくとも前年度中に決断していれば沖縄の被害も東京大空襲も、広島と長崎への原爆投下も避けられました。

 ソ連の参戦の前に敗戦を決断していれば、千島列島を不当に奪われることもなかったはずです。戦争を起こした張本人である昭和天皇の責任が最も大きいことは明らかですが、敗戦の決断を速やかにしていれば、戦後にこれほどの屈辱を与えられることはなかったのではないか?その解明を求めたい。本日夜のNHK「クローズアップ現代」を注目しています。