沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落(2004年8月13日)は、奇跡的に死傷者は出なかったものの墜落現場から道路を隔てた民家を破片が直撃しました。生後6カ月の赤ちゃんが眠る部屋はメチャクチャになりました。母親が間一髪、赤ちゃんを抱いて玄関を飛び出して九死に一生を得たのが実態です。

 墜落直後、大学には隣接する普天間基地から大勢の米兵が押しかけ、大学関係者を追い出して墜落現場を封鎖。県警や市消防まで締め出す一方、ガイガーカウンターを使い、現場の表土を削り取り持ち去っています。アメリカに唯々諾々と従う日本政府の姿勢は当時も今も変わりません。

 米軍が、事故原因を「イラク戦争への対応で、3日連続17時間勤務による睡眠不足など疲労の結果、機体整備が不十分で起こった事故」と発表(10月8日)。すると、日本政府はただちに(10月12日)町村信孝外相(当時)墜落同型機の飛行再開を容認。翌13日から飛行が再開されました。墜落からわずか2ヶ月です。同月16日に現場を訪れた町村外相は「パイロットの操縦技術が上手だったので被害が最小限にとどまったと礼賛する有様でした。

 今月3日に訪米し、オスプレイの“遊覧飛行”に試乗して「飛行をエンジョイした。全然問題ない」と褒め称えた森本敏防衛相。8年前の日本政府の対応を彷彿(ほうふつ)とさせるものでした。
【2012年8月14日付しんぶん赤旗に掲載】