※長い文章なので、後半部分を紹介します。

先日のある講演会で、脱原発を主張しながらプルトニウムは持ち続けるべきだと言う方がいました。核武装の可能性を失うのは安全保障上問題があるからだ、というのです。ハッとしました。使用済み核燃料からプルトニウムなどをとりだして再利用するプルサーマル計画は、リサイクルして電力をつくるためだと思っていました。


しかし、プルトニウムは核兵器の原料にもなります。「平和利用」の名のもとに、途上国も含め世界に原発を広げていけば、核武装の可能性を広げていくことになります。本当はそれが目的なのかと。


「原発をやめたら電気が不足する」と政治家は言いますし、学生たちも不安に思っています。江戸文化を研究する私が言えることは、電気がなくても人間が暮らしていた時代があったよ、ということです。


江戸は100万人の人口を抱え、パリやロンドンを超える世界最大の都市でした。当時はもちろん、電気も石油もありません。燃料は薪(まき)だけです。そのもとで100%に近いリサイクル社会を築き、日本文化の根幹になるような豊かな江戸文化を花開かせた。もちろん、農村・農業を基盤にしていたこともありますし、時代も違うので単純に現在と比較はできません。要は、自然エネルギーで代替すると同時に、電気を大幅に節約して、人がまともに暮らしていける新しい社会システムをみんなで考えていきませんか、ということです。


「原発ゼロ」と次の社会を展望する取り組みは、社会運動や環境運動、政治的主張などこれまでバラバラに活動していた人たちが一緒になって、大きな運動にできる可能性があると思います。

【10月23日号「しんぶん赤旗 」に掲載】


松下ゆたかのコメント

田中優子さんのお話にもあるように、「原発維持」の動機と本音が「電力不足」などではなく将来の「核武装」のためということであれば、言語道断です。日本国民は、20万人余の被爆者と2万人余の被災者を冒とくする事を絶対に許さないでしょう。本当に人間を大切にする政治を実現させるために、大きく力をあわせましょう。