1964年東京5輪の体操女子でチェコスロバキア(当時)の代表として3個の金メダルを獲得し、演技の優雅さから「5輪の名花」と称されたベラ・チャスラ フスカさん(69)が8日、東京都内で講演し、東京5輪で日本男子のエースだった遠藤幸男さん(故人)と「ソ連に勝とう」と意気投合し、ともに個人総合を 制した逸話を披露した。チャスラフスカさんは体操関係者らの招きで20年ぶりに来日。「覚えていてくれている人もいるかと思って」と東京5輪のメダルも持 参して披露した。

チャスラフスカさんは68年、母国の民主化を支持する「2千語宣言」に署名。その後は厳しい弾圧に遭い、89年に非共産 党(反ソ連)政権が誕生して名誉回復が認められるまで、苦しい生活を送った。当時を振り返り、「私は正しいと考えて署名したから、否定することなどなかっ た」と強い口調で語った。

チャスラフスカさんは現在、チェコ日本友好協会の名誉会長を務め、チェコで東日本大震災の被災者支援募金なども推進している。

私は当時19歳でしたが、中央合唱団の研究生として原宿まで通っていました。オリンピック開催に合わせるようにカラーテレビが普及して、私もチャスラフスカさんの美技に圧倒され、大フアンになりました。ソ連の大国主義は目に余るもので、日本共産党も激しく攻撃を受けて論争していました。チャスラフスカさんがソ連の干渉に果敢に闘っていることを知り、チェコまで応援に行きたい心境でした。

今朝の毎日新聞に、笑顔で写っているチャスラスフカさんの写真を見て、47年前をなつかしく思い出しました。私事ですが、その年の10月10日、東京オリンピックの開会式の夜、歌声の先輩のすすめで日本共産党に入党しました。年齢は若干19歳でした。