ドイツのメルケル政権は福島原発事故を受け、2022年までの原発全廃を決めました。昨秋に自ら決めた原発稼動延長方針の撤回です。「全廃」方針を可能にした力は何か。経緯を識者らに聞きました。

「メルケル首相は物理学者でもあり、原発の危険を理解し福島で何が起きたのかを見極めて判断した」-砂漠に降る太陽エネルギーの広域活用をめすデザーテック財団のティーモ・グロップ事務局長はこう話ます。首相は「フクシマが私の見解を変えた」と強調しています。

ドイツの社会運動史に詳しいディーター・ルフト教授は「(メルケル氏が率いる最大与党)キリスト教民主・社会同盟は10年前、野党として『22年全廃』に異議を唱えていた。その態度を転換したことになる」と指摘。「昨秋に決めたような原発稼動延長に戻ることは決してないだろう。逆戻りを狙う政党は大打撃となる」と語り、反対世論の強さを強調します。

実は「22年全廃」方針は、00年にシュレーダー政権が電力会社と合意し、昨秋に法が改正されるまでドイツの政策でした。同政権は、社会民主党と緑の党でした。緑の党は、長年の原発反対運動を経て、1980年に結成された政党。同党の政権入りとともに「全廃」方針に踏み込む契機になったのは、86年のチェルノブイリ事故でした。

同事故についてニーダーザクセン州議会のドイツ左翼党議員で平和活動家のマンフレート・ゾーン氏は、こう振り返ります。「人々はキノコを食べるのも禁じられ、生まれてくる子どもたちのことも心配でした。放射線への危機感が広範な人びとに広がり、原発反対運動が高まった。当時のドイツは今の日本に似ている」。

社会民主党は、戦後ドイツでキリスト教民主・社会同盟と並ぶ2大政党の1つ。ルフト教授は「社会民主党が原発反対を打ち出したのはチェルノブイリ事故以前にも世論調査では7割が原発に反対し、原発建設中止を求める裁判も多くたたかわれていたと指摘。「その結果、電力会社は80年代後半には『国内で原発に力を入れても利益にならない』と判断していた」と語りました。

ドイツでは、2大政党の2つとも、原発政策を転換しました。その理由は、①圧倒的な反対世論の広がり、②チェルノブイリ・フクシマ原発事故の衝撃です。私たちの日本でもドイツのように、国の政策を転換させることは可能です。日本では、「原発マネー」が政界やマスコミなどを汚染しており、より一層国民的運動を強めることが必要です。力をあわせて、頑張りましょう。