東京電力と国は、全ての英知を結集して一国も早く原発事故を収束させることを第一にすべきです。福島県には原爆被害者協議会の会員70人を含め、被爆者90人います。県外に避難した人もたくさんいます。会員のみなさんがどれだけ福島に戻ってこれるだろうかと心配しています。

今、県内で起きているのは、継続的な低線量被ばくです。一挙に被ばくすることと違い、新しい問題です。どいう影響を子どもたちと市民に与えるのか、綿密に調査・研究をすることが必要です。東電は情報を小出しにして正確な情報を国民に伝えていません。これでは新しい研究と対策はすすみません。

国も放射線量は発表します。が、どんな核種が流れているのか、1年後、2年後はどうなるのか、中期、長期にはどうなるのか、どんな防御策があるのかーなど、くわしくは伝えられていません。そのために風評被害を引き起こしました。怒りを覚えます。

私は66年前の8月7日から25日まで広島で被爆しました。旧制広島高校1年生でした。妻は当時、学童疎開で広島市に居なかったために被ばくしていません。妻の両親や兄らが被ばくしました。私は、8月6日、列車で実家の呉市に向かっていました。学生寮の食料確保のためでした。翌日から焦土化した広島市内で友を捜し求めて歩き続けたことで被ばくしたのです。

8月15日を広島で迎えました。「放送があるから代表として聞いてこい」と教官から命じられ、戦争が終わったことを知りました。教官王国すると、教官は「良かった」と終戦を喜びました。戦争が終わることを喜ぶ人もいたのです。愛国少年から抜け出した記念日になりました。

8月25日に呉市の実家に帰り着き、ぶっ倒れました。1ヶ月は寝たきりでした。鼻血や下痢が出て止まりません。食事は口に入らず衰弱。ひどい倦怠感が続きました。

私は、原発については、プルサーマルなどその危険性について会員にニュースで知らせてきました。制御できないままに見切り発車で原発を動かしたのは犯罪的で反国民的なことです。

爆発を起こす事故が実際に起きたことは衝撃でした。原発事故は時間的、空間的に被害が広がります。2度と被爆者をつくらないように福島原発の事故を収束させ、「原発ゼロ」に向けた運動を強めるときです。

広島で被爆し、福祉まで原発被害にあわれた星埜惇(ほしのじゅん)さんのお話を重く受け止めました。「核と人類は共存できない」「核の被害者を出させない」この立場で連携して、「原発ゼロ」をめざして運動をひろげましょう!