三重県に中部電力が計画した芦浜原発。その予定地に漁業権を持つのが古和浦漁協(三重県南伊勢町)です。午前4時すぎ、海霧を振り払うように漁船が出発します。同漁協の堀内清元組合長(82)は漁火を見つめながら語ります。「芦浜原発を止めてよかった。相当な人権侵害があったが、みんな頑張ってくれた」。

1963年、中電は熊野灘に面する芦浜など3ヶ所を原発予定地として公表。芦浜は南島町と紀勢町にまたがる浜です。マスコミも「“原子の灯”は紀州地方の、三重県の、そして日本の未来を照らし出す灯になる」(「朝日」)と歓迎しました。南島町の7漁協は合同で反対を決議。大漁旗をたてて県庁前に座り込むなど、猛烈な反対運動を展開しました。67年、知事が芦浜での立地を断念しました。

しかし、77年に国主導で計画が復活。80年代後半から悪質な推進工作が始まりました。堀内さんが証言します。「中電は借金をかかえた漁師にカネをちらつかせ、切り崩した。バスで原発視察旅行に連れて行き、日当まで出した。いつもタダ酒を飲ませていた」。

古和浦漁協理事だった小倉正巳さん(72)と紀子さん(70)夫妻の自宅には、昼夜とわず無言電話や脅迫電話が。頼んでもいないダブルベッドなどの商品も次々と届きました。「電話がならないように電話線を抜いた。両親が入院中だったので、つらかった」と紀子さんは振り返ります。

切り崩しが進行していた91年、手塚征男さん(67)=現、南伊勢町議=が移住立候補し、南島町に初めての日本共産党町議が誕生しました。「手塚さんが当選し、議会が活発になった」と堀内さん。町は「南島町芦浜原発阻止闘争本部」を結成。同本部が95年11月から始めた「三重県に原発はいらない県民署名」は、わずか半年で県内有権者の半数を超す81万人に。ついに北川正恭知事(当時)は県議会(2000年2月)で「芦浜原発は白紙に戻す」と発言。芦浜原発の白紙撤回を勝ち取ったのです。

前出の小倉紀子さんはいいます。「国策の原発計画に勝ったのはすごい。37年間、つらいことも、怖いこともあった。でも、原発事故を目の当たりにして、たたかってよかったと本当に思います」。

この記事は、8月14日付「しんぶん赤旗」(日曜版)に掲載されています。日本中には、こうした住民の粘りづよい闘いで25ヶ所の原発計画が中止に追い込まれています。もし、計画通りに原発が立地されていたらと思うと「ゾッ」とします。いったん事故が起きたら止めることができず、放射能汚染を広げる原発は日本中からなくしましょう!