民主、自民両党の2大政党体制づくりの過程で、原発積極推進の方向へ原子力政策の舵を切ったのは民主党側でした。民主党原発政策を転換したのは、現在、党原子力政策・立地政策プロジェクトチーム会長ポストにある川端達夫元文部科学相です。川端氏自身が政策変更の内幕を明かしています。

「3年かけて『過渡的エネルギー』という言葉を消しました。原子力を日本の基幹エネルギーとして位置づけ、最終処理まで国の責任で行うことを書き込みました」(『改革者』2011年1月号のインタビュー)。民主党は、1998年の結党以来、原子力について「過渡的エネルギー」と位置づけていました。原発については「進めるが慎重に」という姿勢でした。それを「基幹エネルギー」に変更したのです。川端氏は「防衛と食料とエネルギーの安全保障に関しては、政権が交代しても微動だにしないという根幹を持っていなければならない」(同インタビュー)と発言しています。

民主党が原発積極推進路線へ政策転換したのは、小沢一郎代表時代の06年4月以後のこと。弾みがついたのは1ヶ月後の同年5月22日に開かれた日本経団連主催の「民主党の政策を語る会」でした。経団連から民主党の原発政策に厳しい注文がつきました。

「原子力の活用は環境とエネルギーの両面から推進すべきだ」と切り込んだ発言をしたのは勝俣恒久・日本経団連副会長(東電社長=現会長)でした。民主党は、同年9月にエネルギー戦略委員会で、原子力について、「基幹エネルギーであり」「欠かせない存在である」と位置づけて、原発積極推進政策に転換したのです。

このように民主党は政権に近づくにつれ、原発政策を変更して自民党に同化していきます。新聞・テレビの世論調査で、脱原発が7割を超えても、自民も民主も原発推進に固執しています。