映画「1枚のハガキ」は、新藤さんの実体験をもとにしています。昨年、車いすで撮影を敢行しました。新藤さんは、松竹大船撮影所の脚本部にいた1944年、召集された広島県呉海兵団に入営します。32歳でした。

呉では海軍2等水兵100人が選ばれ、奈良県天理市へ。そこで、上官がくじを引いて60人を選び、フィリピンのマニラへ陸戦隊として派遣しますが、米潜水艦に撃沈されます。残る40人のうち、30人は潜水艦に乗り戦死。10人のうち、4人が海防艦の機関銃手になり、戦死。最後に生き残った6人のなかの1人が新藤さんでした。「運というか、くじで決められた人生です。私が戦後、シナリオを書いたり監督をしたりしてこれたのは、6人のうちに入ったから。94人の犠牲によって私が生きて仕事をすることができた。そのことが私の肩の重みになってきました。ここで、私がみた戦争を描いて死ななければ死にがいがない。けりをつけようと思うようになりましてね。」と語ります。

「1枚のハガキ」は、天理市でくじを引かれた日から始まります。主人公・啓太(豊川悦司)は、マニラ行きとなった同じ2等兵で農民の定造(六平直政)に届いた、妻・友子(大竹しのぶ)からのハガキを見せられます。「今日はお祭りですが/あなたがいらっしゃらないので/何の風情もありません」。生き残ったら、これを確かに読んだと妻に伝えてほしい、と頼まれました。定造の戦死後、妻の友子は一家の不幸が相次ぎ、辛酸をなめます。訪ねてきた啓太に、「あんたはどうして生き取るんじゃ」と悲嘆の声をぶつけます・・・。

「94人にすまないという思いがあって、戦後ずっと抱え込んだままのテーマでした。94人はどこでどう死んだか、海底に沈んで骨も帰ってこなかったり。そんな一生をだれが決めたのか。戦争をやりたい人が決めたんです。兵隊を1人でも多く殺せ、というのが、偉い人が始めた戦争ですね。将校や参謀、戦争を操りたい人の戦争ではなく2等兵が見た戦争を描こう、と。つくりごとではない戦争です」

ハガキの“何の風情もありません”という言葉が若い日の私を打った、と新藤さん。60年以上前の戦友への恋文を心に留めてきました・・・。<以下、省略> ※7月31て日付「しんぶん赤旗」日曜版に掲載されされています。

99歳の誕生日を迎えた4月22日、ニューヨークで「新藤兼人回顧展」が開かれ「原爆の子」「裸の島」など11本が上映され「1枚のハガキ」も観客から惜しみない拍手が贈られたそうです。「くじで選ばれた人生」を生き抜き、戦争の真実を映画に記録され、世界に発信された功績は大です。新藤兼人監督の人生と映画にあっぱれ!