前回のつづき

聖書の学び108《ルカ12:24〜》

 前回のことを踏まえて、これからユダヤ式、小から大への議論が始まる。前回のことがわかるなら、まして次のことを考えてみて、というのだ。

24,カラスのことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋や蔵もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あなた方は、鳥よりも、はるかに優れたものです。

 命は食べ物より大切、体は着るものより大切、と言えば、みな賛同する。では、カラスのことを考えてみよう、と言うのだ。「蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋や蔵もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あなた方は、鳥よりも、はるかに優れたものです。」イエス様は、カラスの話から始めて、最後は鳥になっている。ユダヤ人はカラスが嫌い。なぜなら汚れているから。死んだものを食べるからだ。カラスと聞くだけで、嫌になる。イエス様はまず最低のことを考えさせて、蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋や蔵もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。」と話す。あなた方が見下している、最低な鳥でさえ、神様は養ってくれているんだよ、と考えさせている。それなのに、前に話した金持ちなんかは、納屋や蔵を建てたりしている。その対比。最低なカラスが、なぜ蔵や納屋を建てないのか?それは心配がないからだ。しかしなぜ大金持ちは蔵を建てるのか?それは心配があるからだ。「あなた方は、鳥よりも、はるかに優れたものです。」カラスを含めた、大きなくくりで言っている。鳥というものはみなそう。カラスも他の鳥も、心配ということをしていない。間違わないで欲しいのは、働かないでいい、と言ってるわけではない。それは怠惰だ。これを読んで、神様は信仰があれば何でもやってくれるんだ、と勘違いしてはいけない。神様は、お金を与えてくれるんだ、食べ物与えてくれるんだと過信すると、神様に愚か者と言われてしまう。今は何の話をしているのか?「心配」についてだ。働かなくても食べられるよ、という話をしているのではない。今、カラスは心配しないよ、ということを言ってるのであって、カラスのように蒔かなくても、蓄えなくても、食べていけるよ、と言っているわけではない。話をすり替えてはいけない。だから次にちゃんとこう言われている。

25,あなたがたのうちの誰が、心配したからといって、自分の命を少しでも伸ばすことができますか。

 これは心配についての話だ。ここは原文では、心配したからといって身長を伸ばすことができますか?と書いてある。成長というのは、自分が望んだ通りにはならない。心配したからといって、誰も身長伸ばすことはできない。つまり何を言っているかと言うと、「心配は、あなたの現実を変えない。」ということ。心配が深まって深まって深まっていったら、あなたの現実は良くなるか?心配したからといって改善はしないのだ。
 鳥の生き方は、神様がそう決めているから。私達の寿命も、神様が決めている。心配したからといって、心配が状況を良くすることはない。

26,こんな小さなことさえできないで何故他のことまで心配するんですか。

 イエス様からすると、こんな小さなことでさえ改善できないのに、なぜ他のことまで心配することで改善できると思うのか?というのだ。イエス様からすれば、身長や命を延ばすことは小さなことなのだ。けれども人間にとっては大きなこと。小さいことも出来無いのに、もっと大きなことを心配してもしょうがない、と伝えているのだ。

          つづく