単語の記憶は不得手 

私はこれまで長い間英語を学習してきました。会社を辞めてからはスペイン語の学習も始めて4年ほど経過しました。途中、中国語にも挑戦しましたが、断念しました。かつてフランス語を勉強していたこともあります。このように書くと、語学が好きとか、得意だったと思われるかもしれませんが、得意ではありませんでした。

 

中学1年で初めて英語に触れ、単語を覚えようとした時、一つ覚えるにも大変苦労しました。まず、スペルと発音の関係に戸惑いました。この発音が、どうしてこのスペルになるのだろう?(発音が「ラ行」の単語が、"R"だったり"L"だったりするのは何故か?)ある単語では"a"を「ア」と発音するのに、別の単語では「エ」と発音するのはどうしてか?いったいどんな法則があるのか?などと頭が混乱したことを思い出します。

 

今でも似たような苦労をしています。初めてスペイン語の単語を覚えようとした時、単語と意味が結びつきません。今でも、ごく簡単な、よく使われる初歩的単語ですら忘れます。何度も覚えたはずなのに、しばらくすると、また忘れているのです。忘れるたびに、「自分は語学の才能は無いなあ」とか「外国語の勉強は向いていない」とか思います。語学は不得手だと感じます。

 

幸か不幸か、スペイン語の単語が覚えられなくても、誰からも叱られることはないし、バカにされることもありません。日常生活に、何ら支障はありません。

 

日本に住んでいるのだから、そんなこと当たり前?

 

でも、もし私の妻がスペイン人で、日本語が堪能な人だとすると、

あなたは4年も勉強して、いまだにそんな初歩的単語も覚えていないなんて、やる気あるの?とバカにするかもしれません。

 

もし仮に、私が会社に勤めていて、スペイン語を必要とする仕事をしていたら、周囲から厳しく非難されたり、会社を首になっていたかもしれません。

 

これまで長い間英語を勉強してきて、その割に、いまだに英語に自信が持てないのですが、それでも問題なくやってこれたのは、職務上、外国に転勤を命じられたことなどなく、私の仕事が特に英語を必要としない仕事だったからでしょう。

 

語学の得意な人から見たら、私はやる気がないとか、努力が足りないとか、才能がないとか、そのように見えるかもしれません。

 

人は誰でも得手、不得手があります。

 

自分の得意分野に関しては、新しい事であっても、それほど苦労せずに習得できる可能性があります。簡単に習得できた人が、習得できず苦労している人を見た時、こんな簡単な事、どうして出来ないのだろう?と思うかもしれません。

 

一方、なかなか習得できない人は、どうして自分はできないのだろう、とか、努力が足りないのか、とか、自分は才能がないのか、とか、思い悩むかもしれません。

 

人は誰でも、得意分野もあれば苦手分野もあります。たまたま、自分の置かれた環境が、得意分野を活用しやすい環境だったならば、水を得た魚のように、自分の才能を使って社会に多大な貢献ができるかもしれません。

 

しかし、たまたま自分の置かれた環境が、苦手分野を必要とするような社会、あるいは、得意分野を活用しにくい社会だった場合、かなりハンディを背負うことになります。

 

得手、不得手があったとしても、自分の得意分野を活かせるような役割を見つけて、その中で自分の才能をさらに磨き、それにより社会に貢献することが、本人にとっても社会にとっても理想だと思います。

 

ここで問題は、

どうやったら、その適切な役割を見つけられるのですか?

という点ですね。

 

各人の得手、不得手の分野を知るにはどうすれば良いのか?

 

仮に、各人の得手、不得手分野がわかったとして、次に、それを活かせる役割とはどのような物か?

 

そもそも、今の社会に、その適切な役割が存在するのか?

 

人間は日々成長するのだから、各人の得手、不得手の分野も変化するのではないか?

 

人間が変化するのなら、社会も変化するはずだ。それに応じて社会が必要とする役割も変化するのではないか?

 

などなど、いろんな疑問が湧いてきます。

 

簡単に解答が見つかるような問題ではありません。

 

ポイントをまとめると以下のとおりです。

 

人は誰もが得手、不得手の分野を持っており、それが個性である。

その個性を尊重するとともに、多様な個性を否定するのではなく、うまく活用することが社会にとっても個人にとっても望ましいのではないか。