日本は脱炭素可能? 

今から2030年、あるいは2050年までに、日本はCo2を減らしてカーボンニュートラルを達成することができるでしょうか?この問題を考える時に、以下の要因を考慮しながら検討したいと思います。

①国土の特徴:狭く細長い、山が多く平野が少ない、雨や雪が多い

②人口の推移:今後、高齢化が進みつつ、人口が減少する

③エネルギー量:太陽から得られるエネルギー量は国土が狭いので多くないが、現在は化石燃料を大量に輸入し、消費することで生活している。今後は化石燃料の輸入量、消費量を減らし、自然エネルギー(太陽光発電、水力発電、風力発電、地熱発電など)を使って国内で生み出せるエネルギー量の範囲内で生活することが望ましい。

④テクノロジーの進歩:自然エネルギーを効率的に作り出すための技術はすでに保有しているものもあり、コストも安くなりつつある。省エネのための技術も保有しており、普及しつつある。Co2など温室効果ガスを放出している産業や企業は、研究、技術開発等により、脱炭素へ向けて努力しており、その成果が現れつつある。

 

②の点を考慮すると、人口が減るのだから日本全体のエネルギー消費量合計は減少する傾向にあると思われます。一人当たりのエネルギー消費量に関しても、省エネ技術の進展や高齢化(若者に比べて老人のエネルギー消費量は少ないと思います)によって、減少する傾向にあると考えます。人口が減り、一人当たりの消費量も減るのだから、国全体のエネルギー消費量はかなり減少していくはずです。

 

人口について、総人口と労働人口を分けて検討してみましょう。政府統計の人口推計データから人口推移と労働人口割合のグラフを作成しました。労働人口は20歳から64歳として計算しています。

 

 

 

上記グラフは2020年から2040年まで10年刻みです。これをみると、総人口、労働人口とも、減少傾向にあり、かつ総人口に占める労働人口の割合が2030年以降急に減少することがわかります。

それだけ高齢化が加速度をつけて進行していくのですが、高齢者の割合が高くなることで、日本が消費するエネルギー量は急減するのではないか。と予想しています。

 

次に、脱炭素を実現するために、日本の産業構造をどのように変革していくべきかを考えてみます。

 

③の観点から、日本が消費する(あるいは消費が許される)エネルギー量を減らさなければいけません。従ってエネルギーを大量に消費するような産業は、日本の国には適さないのではないか、と考えられます。①で記載したように、日本の国土は狭く、平野が少ないので、太陽光発電、風力発電にはあまり適していません。バイオエネルギーの活用を考慮したとしても、平野が少ない日本で植物が生み出せるエネルギー量は限られています。日本の国土内で作り出せるカーボンニュートラルなエネルギーの総量はそれほど多くない。という現実を認識する必要があります。

 

さらに、今後日本の労働人口が減少することを考慮すると、従来の日本の基幹産業を全て維持しようという考えには無理があります。いくつかの産業は縮小、撤退の方向で検討するべきではないでしょうか。

 

例えば鉄鋼業です。長らく日本の経済発展を支えてきた基幹産業ですが、エネルギーを大量に消費します。現在は石炭を燃やして鉄鋼を作っており、Co2を発生することが問題視されています。では、水素還元法がうまくいって、グリーン水素を用いて製鉄するなら別に問題ないだろう。と思われるかもしれません。果たしてそうでしょうか。グリーン水素を使えば温室効果ガスは発生しないので、脱炭素には成功しますが、エネルギーを大量に消費することには変わりありません。日本国内で生み出せる自然エネルギー量は少ないのに、その少ないエネルギーを製鉄のために消費したら、人々が生活するために必要なエネルギーが減ってしまうことになります。

 

それならグリーン水素をオーストラリアなどから輸入すれば良いではないか。確かにそれは可能です。でもちょっと考えてみてください。鉄鉱石がオーストラリアにあって、国土の広いオーストラリアは太陽エネルギーも豊富にあって、それを使ってグリーン水素を作れるのに、わざわざそれを日本まで輸送して(そのためにエネルギーを消費して)日本の鉄鋼会社が製鉄し、それをまた外国に(エネルギーを消費して)輸出する。本当にこれが合理的なのでしょうか。それなら最初からオーストラリアで製鉄し、鉄鋼を生産する方が効率的だと思いませんか。本当に日本で生産する必要があるのでしょうか。これまでそうしてきたから?それで回答になっているでしょうか。従来行ってきたやり方に問題があるから、地球温暖化などの問題が生じているのです。この際、もっと根底から見直すべきではないでしょうか。

 

雇用を守る必要があるから。という意見もあるでしょうが、前提条件を失念されているように思います。今後労働人口が減少し、どの産業も人手不足に陥ることが予想されます。貴重な労働力をどの産業へ充当することが最も望しいのか?という問題を検討しているわけですから、無理に雇用を守る必要はなく、それよりも、人手不足で困っている産業へ労働力を移動させることを検討するべきではないでしょうか。

 

今日の読売新聞に、リスキングが注目されているという記事がありました。リスキングとは、新たな知識や技術を学び直す、ということだそうです。これまで日本の社会を支えてきた基幹産業であっても、今後は縮小していく可能性があります。また、縮小せざるを得ない背景もあります。このトレンドに逆らうのではなく、リスキングによって新しいスキルを身につけ、より必要とされる産業へと移っていくことが望ましいのではないでしょうか。

 

なお、私は鉄鋼業が社会に必要とされなくなる、と思っているわけではありません。私自身が以下のブログでも書いているように、

 

 

鉄鋼業は我々の社会になくてはならない産業であり、鉄のない文明など想像できないと思っています。でも別に鉄鋼業が日本になくても良いのではないか、という問題提起をしているのです。鉄鋼業は再生エネルギーを多く必要とするので、日本よりも国土の広いオーストラリアや米国の方が適しているのではないでしょうか。いわば、役割分担です。社会に必要とされる産業は他にも数多く存在します。それを全て日本で実施しよう、とか、どの産業でもトップを取ろう、という考えはもはや時代遅れだと感じます。これからは、日本の風土に適した産業へとシフトしつつ、数少ない貴重な労働力をリスキングで高度なスキルを身に付けながら、脱炭素社会を作り上げていく。という考え方に変えていくべきだと思うのです。