若い頃、年を取るとはどういうことか、全くわからなかった。仕事を辞めて毎日好きな事ができて羨ましいと思ったが、正直、真剣に年寄りのことなど考えたことがなかった。50歳を過ぎて、リタイヤする年齢に近づいても、早く仕事を辞めて自由になりたいなあ、という程度の認識だった。

 仕事を辞めると、解放感があり、義務から逃れられて、とても楽だ。あまり仕事が好きではなかったので、会社生活に未練は感じない。その一方で、自分の能力、力がどんどん落ちていくように思える。それはそうだ。仕事をやめれば緊張感はなくなるし、真剣に頭を使うこともない。通勤しないので、運動不足になりがちで、体力も衰えていく。これが年を取るということか、と実感する。若い頃は、日々精進すれば進歩する、前進できると考えていたし、前進して当然だと思っていた。ところが、年齢を重ねるうち、前進できなくなり、今や後退している。日々精進しても、前進どころか現状維持すら出来ない。こういった事を実感することが年を取るという事だ。

 実感する、という点がポイントである。30代、40代では実感出来ないと思う。50代でもまだそれ程実感しないのではないか。やはり、明確に感じるのは会社を辞めてからだと思う。結局、体験して始めてわかるという事だ。

 年を取ったのだから仕方ないとは言え、自分の力、能力、気力、体力が衰えていくことは残念だし悲しい事だ。このように力の衰えを感じる中で、自分の能力が伸びている、あるいは上達していると感じることがあると嬉しい。私がこの歳になって新しい外国語を学んでいる理由、そして結構楽しんでいる理由はここにあると思う。

 1年前、スペイン語を学び始めた。スペイン語の知識は全くなかった。学生時代、旅行でスペインに行ったことがあるという程度だ。この1年間、文法書を読んだり、単語を覚えたりした。そのおかげで単語もかなり覚えたし、簡単な文章なら話せるようになった。つまり、少し上達した。これは当たり前だ。ゼロからスタートしたのだから1年もやれば少しは進歩するし、上達したことを感じられる。

 年を取ると、「上達していると思える」ことが嬉しい。他の事は色々と衰えを感じて寂しく思う中で、進歩、向上を感じる事があると嬉しいのだ。私にとって外国語を学ぶ動機は曖昧だ。明確な目標もない。当然ながら、仕事上必要だとか、将来の仕事に役立てる、なんてことはない。将来、スペインかメキシコあるいは南米に旅行することがあれば多少役立つと思うが、いつの事だかわからない。それでも毎日テキストを開いて学習している。会社を辞めて時間を持て余している人がいたら、外国語の学習をお勧めしたい。何せ、外国語をマスターするには途方もない時間を要するので、持て余していたはずの時間が足りなくなる事請け合いである。