外国語を勉強していて、もっと良い方法があるのでは、と勉強法について書かれた本やネットの情報などをつい読んでしまう。これまで随分とそういった情報を読んできた。語学の達人や上級者の勉強法は参考になる。だが、結局自分にとっての最適な方法は自ら見つけるしかないと思うようになった。

語学の達人や上級者の勉強法は必ずしも同一ではない。読書を勧める人、音読を勧める人、文法を重視する人、コミュニケーションを中心にする人、単語の暗記を中心に学習する人、映画やドラマを見て学ぶ人。人によって随分と異なる。

外国語の習得に関して、これまで多くの学者が実証的な研究を行っており、様々な教育方法が生み出されてきたが、どれも決定的な物はない。結局、万人に通用するベストな方法など存在しないのではないか、と思うようになった。もしも、誰にとっても最適な方法が存在するのなら、誰もが既にその方法を使用しているはずだ。実際には、色々な学習法、教育ツールが並存しており、多くの成果を上げつつも、挫折する人や効果の上がらない人もいる。

人によって性格の相違や好みの違いなどがあるので、ある人にとってはとても役立つ、効果的な方法であっても、別の人には苦痛で面白くない物かもしれない。読書好きの人なら易しい外国語の本をたくさん読む事は楽しい勉強方法となるだろうが、本嫌いの人にとっては苦痛だろう。社交的な人にとって、外国人と友達になって(文法的な誤りなど気にせず)会話しながら言葉を学ぶのは理想的な勉強法だと思うが、内気な性格で人見知りする人にとっては簡単な事ではない。外国語の習得にはかなりの時間を要するので、自分にとって楽しくない、あるいは多大なストレスを感じるような方法では長続きしない。

このように考えて、試行錯誤しつつ、自分にとって楽しく、継続できる勉強法を見つける必要があると思うようになった。自分に合う勉強法を早い段階で見つけた人は、その後の学習に弾みがつき、多言語の習得という(外国語が出来ない人にとって憧れの)技を身につけることができるのだろう。勉強方法を確立した人(あるいは、外国語学習のコツを掴んだ人)にとっては、複数の言葉を習得することはそれ程大変な苦労ではなく、達成可能な目標となるようだ。

そして、複数の外国語を学ぶにつれて、1つ目よりは2つ目が易しく、そして3つ目はさらに易しく感じられるという。これは、無駄が減り、学習方法が洗練されてきて効率が上がるという効果もあると思う。さらに、言葉そのものへの理解が増すという面もあるだろう。