百年住宅という宣伝をちらしなどでよく見るようになりました。

内容を見ると、耐久性のことをアピールしており、百年間は十分に住める。ということです。

この、百年住宅について、言いたいことがあります。

「百年以上住むことができる。」という家と「百年後も住んでいる人がいて、立派に活用されている」という家とは異なります。たとえ、丈夫で長持ちし、百年以上住める家だとしても、建築してから百年後に存在していなければ、あまり意味がないのではないか。

通常、住宅を建築してから50年もたてば、施主も施工者も、皆死亡している可能性が高いです。その住宅に関わった人が皆いなくなったとき、家に何の思い入れもない残された人はどうするでしょうか?50年前に建てられた家の設備は古くて時代遅れになっているはずです。新築時にはきれいだった家もあちこちがたがきてすっかり古びていることでしょう。たとえその家があと50年以上十分住めるということがわかっていても、取り壊して新しい家を建てたい、と思われてしまえば、結局は壊される運命となります。

つまり、単に耐久性だけが優れていたとしても、それは必要条件であって、それだけでは100年後に壊されず、残っているとは限らない。と思うのです。

100年後も住んでいる人がいて、使われるためには、耐久性はもちろんのこと、それ以上の何かが必要なのです。たとえ築50年の古い家であっても、この家に住みたい、と多くの人に思ってもらえるような何かが。持ち主が最初の施主から移り変わっても、ずっと愛されるような何かが。設備が古くても、多少の傷みがあっても、使い続けたいと思わせるようなものが必要なのです。

100年前というと、歴史の世界です。とても長い時間です。一時的な流行は廃れてしまい、100年もの時間に耐えられません。時代を超えた普遍的なもの、本物だけが生き残るのです。

住宅において、流行を超えた普遍的なもの、本物とは何か。私の考えでは、素材は木、土、レンガといった昔から住宅に使われているものがそうではないか。多くの新素材は生き残れないでしょう。作ったときは新素材でも50年も経過すれば、時代遅れの素材になり下がっている可能性が高いと思います。デザインはクラシックなものがいいでしょう。モダンなデザインが全て悪いとはいいませんが、生き残れる可能性は少ないと思う。そして、美しいもの。美しい素材と美しいデザインの家は、たとえ古くなっても味わいがでて、いつまでも愛されるのではないでしょうか。

私は主張したい。100年住宅を目指すなら、耐久性や機能性だけを競うのではなく、昔からの素材を大事にしつつ、デザインにも気を配るべきであると。そのような家は作るのに費用は高くつくかもしれません。でも、100年以上住もうというなら、それだけの費用はかけるべきだし、必要な費用をケチっては、結局100年どころか50年も経たずに飽きられて、壊されることになるのではないでしょうか。