産業革命以前は、「子ども」と言う概念も無く、小さな大人として男は丁稚奉公で下働き的な労働に従事し、女は家事労働の担い手として働きましたから、一定の年齢までは「学校」で教育を受けるという現在の制度からは想像すら難しい状況です。乳幼児の死亡率が異常に高かったのも赤ん坊は大人のおもちゃとして「フリスビー」代わりに投げられていたそうですから高死亡率も頷けます。
産業革命によって機械化が進むと小さな大人は足手まといの労働力となり、大人が働く間はどこかで預かってもらう方が生産効率が上がるようになり「学校」が編み出され、学校で預かってもらう期間を「子ども」とみなす「子どもが誕生」したというのがアリエスの指摘でした。確かに日本でも明治から昭和初期の庶民大衆の写真には現在のような「子供服」を着ている姿は無く、大人と同じ着物を着ていたことからも「子供服」をはじめ「子どもの誕生」に付随して生まれたモノも多かったのでしょう。
ですから、学校は子どもを預かる場所として生まれ、そこからさまざまな変遷を遂げて現代に至っていますが、現代でも子どもを安全に預かるという機能は学校の原点として求められていますから、事細かな規則や決まりを作って安全管理に努めているのでしょう。
17世紀以降、様々な経緯を経て生まれた「国民国家」は全世界を席巻し「近代国家」とも呼ばれ、国民は主権者として多くの権利を有したと同時に「納税」や「教育」、国によっては「兵役」まで担う事になりました。
国民国家の形成には、国民には先ず同質性や均一性が求められましたから「国歌」の起立・斉唱や「国旗」への敬礼などで、国民は国家の一員としての帰属意識=アイデンティティの形成を求められてきました。
「国民国家」が推し進めた公教育としての「学校」は、均一な教科書による教科教育を柱に効率的に国民国家の人材育成を図る機関としての役割を競ってきました。「国歌」による帰属意識の高揚にならっての「校歌」や「国旗」をマネた「校旗」の制定などは隅々まで浸透し、帰属した学校に「愛校心」を持たせ「愛国心」へと昇華させる自然な仕組みを「鉄は熱いうちに打て」とばかりに児童・生徒・学生へと継続させてきたのが「学校」でもありました。
反面、集団で子どもを預かる上でも均一な昼食も必要になり「弁当」が「給食」になったり、児童・生徒により良い体験や思い出をと「遠足」や「運動会」「学芸会」「修学旅行」等々のイベントも繰り込まれ、児童・生徒の自主性や選択性も取り入れ「部活」や「児童会・生徒会」「生徒総会」等も全国のどの学校でも一般化しました。
「体育」と言う教科は、スポーツ文化を背景に成立した過程から「部活」も「野球」とか「柔道」「陸上」「バスケット」等々スポーツ競技でジャンル分けされ、スポーツの重要な要素である「記録」「勝敗」は目標や対外試合へと繋がり、「応援」という文化も発生させてきたのでしょう。