
イエスキリストをまだ信じていない人たちへ 

よく聞いて下さい。
イエスキリストをまだ信じていない人たちへ
では
「 聖書を読むなら、教派の教義や、牧師らの教えを鵜呑みにしてはならない、自分で調べたりして学んで下さい! 」
と話しました。
今回は 「 御言葉を行なう人になりなさい! 」 です。
聖書では、
「 神の声があったなら、その声に聞き従え!!そうすれば、父なる神の御心を行なうようになる。 」
というような話がよく書かれています。
でも、霊感のない人は神の声が聞こえる訳がないよね?
どうすればいい?答えは簡単です。
新約聖書では、イエスキリスト自身が何を語ったか、何を行なったか、
そこが、父なる神の御心を行なっている行為(時)だ。
イエスキリスト自身がたとえ話をよくされたのは、
それは、イエスキリストを信じる者が
全員、父なる神の御心を行なってほしいからだ。
だから、イエスが何を語ったか、聖書に沢山書いてあるので、
読めば、父なる神の御心は何であるか、が理解できるはずだ。
イエスの12人弟子たちも聖霊の導きによって語る事もあるが、
彼らは人間なので、人間の肉的な思いから来る話が
混じっている事があるため、本当に、
イエスから来たものなのかどうかは分からないので、
参考までに、という事にしている。
いい例を挙げるなら、旧約聖書に登場しているアブラハムだ。
旧約聖書を読むなら、アブラハムを読む事を勧めます。
彼は、どういう人生を送ったか読んで下さいね。
マタイ7:21
「 わたしに向かって、『 主よ、主よ 』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。 」
これはイエスがたとえ話をなされたものだが、
私が一番、気にする御言葉だ。
主よ、主よと言って信じるだけでは天国へ行けるのかどうかも分からないし、
だから怖いので、父なる神の御心を知り尽くした上で、
その御心を行なうように意識してます。
今の日本のクリスチャンたち、特に愚かな牧師&神父たちは
本当に神の御心を行なってますか?
実際、行なっていないから、リバイバルが起こらないんだよ!!!
だから、日本のクリスチャン人口が1%も満たないのは悲しい話だ。
彼ら彼女らクリスチャンの言う事、行為などを見習わないで下さい。
まず、聖書を読む事から始めて下さい。
特に、イエスキリストのたとえ話を重視して下さい。
そうすれば、父なる神の御心を知る事が出来、
父なる神の御心を行なうようになれます。
でも、たとえ話には隠語的な部分があるため、理解出来ない事があります。
こういう時は聖霊に教えていただけるように祈り求めるとよいのです。
私の場合は、信じて、まだ信仰が浅いごろは聖書を読み始めても、
イエスのたとえ話を牧師から教わる事もなく、すらすら理解出来てましたよ。
それは私が父なる神の御心を本気で知ろうとしたから、
聖霊が教えて下ったんだと思います。
だから、あなたたちは本気で知ろうとして下さい。
頭だけで、観客的に読むだけなら、
それは父なる神の御心を理解する事が出来ません。
聖霊もそういう態度で読む人に教えても
無駄に終わってしまうから、教える事はないと思いますよ。
もし、自分自身が父なる神の御心を行なうようになったら、
自分の通う教会に何度も訴えるより、
私みたいに、ブログなどを使って、自分のビジョンと共感出来る人を
探し見つけては集め、行動を起こして下さい。
御心を行なわない教会が多いから、
自分自身が通うようになるかもしれない教会に訴えても、
無駄だから放っておけ!!
聖書はこう書いてあります。
ヤコブ2:14~26だ。
ヤコブ2:14~26 (新共同訳)
2:14
わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。
2:15
もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、
2:16
あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。
2:17
信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
2:18
しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいるかもしれません。行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう。
2:19
あなたは「神は唯一だ」と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じて、おののいています。
2:20
ああ、愚かな者よ、行いの伴わない信仰が役に立たない、ということを知りたいのか。
2:21
神がわたしたちの父アブラハムを義とされたのは、息子のイサクを祭壇の上に献げるという行いによってではなかったですか。
2:22
アブラハムの信仰がその行いと共に働き、信仰が行いによって完成されたことが、これで分かるでしょう。
2:23
「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
2:24
これであなたがたも分かるように、人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません。
2:25
同様に、娼婦ラハブも、あの使いの者たちを家に迎え入れ、別の道から送り出してやるという行いによって、義とされたではありませんか。
2:26
魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。
こういうわけで、
「 自ら行なおうとするな、それは高慢だ!だから、全ては神にゆだねるように謙れ!! 」
と説き伏せる牧師&神父、クリスチャンが多いのです。
そういう人たちこそ、高慢であり、口先だけの信仰ばかりするので、
信仰は死んだものである。
だから、こういう人たちが説き伏せてきたら、無視して下さい。
いつまでも説き伏せ続けてきたら、
イエスキリストに遠慮なく訴えるといいですよ。
特に、教会が礼拝後、自己紹介やお知らせなどで
「 私は今まで高慢でしたから、良くない事が良く起こっていた。だけど、悔い改めて、高慢をやめたら、いい事が良く起こるようになった。 」
というような証をするクリスチャンをよく見かけます。
ハッキリ言って、そんなのはどうでもいいんだよ!
そんな事を証する暇があったら、
父なる神の御心を行なう事に専念しろ!!と思ったりします。
それ以来、「 高慢 」という言葉が嫌いになりました。
クリスチャンたちがよく使う言葉だからだ。
もし、私は伝道活動するようになったら、
出来れば、「 高慢 」という言葉を使いたくない。
嫌いな言葉だから。
以上です。