日本航空(JAL)の今年度9月期の中間決算が、1312億円の最終赤字であったことが明らかになった。売上費で実に17%にも及ぶ赤字である。5%の利益を出すこともままならないこのご時世に、17%の赤字は本当に深刻なものだ。
 再建に向けて公的資金注入を前提にした協議の中で、経営責任と企業年金の問題が争点となっている。しかしすでに退職されたOBの年金減額が条件などというのは、前原大臣も若干見当はずれのような気もする。長年お世話になった会社の危機に際し、OBの方々の自主的な協力は「武勇伝」として是非実現して欲しいとは思うが、現在の経営危機が過去の社員の責任というのは、いささか話が飛躍しすぎているように思える。現経営者の経営責任を明確にするのは当然としても、OBの責任を問う前に、はっきりさせなければならないことがあるのではないだろうか。

 事業再生に向けては路線の廃止を含む合理化が不可欠となるが、そもそもなぜそんなに赤字路線が多いのか?航空輸送という公共的な事業なだけに、そう簡単に撤退などできないのだろうとは思うが、であれば空港を作るときに、ちゃんと採算を見込んでいたのだろうか?
 例えば、兵庫県北部の山奥にある「コウノトリ但馬空港」は伊丹空港からのJALグループのJAC便が1日2往復発着するのみである。言うまでもなく空港の収入は飛行機の発着に関わる費用であることを考えれば、1日わずか2回の離発着のために、立派な施設を使い、常勤の地上スタッフを雇用して採算が合うわけがない。なんでこんなところに空港が造られてしまうのか?
 空港建設の多くは国交省と地元自治体の「談合」で決まる。いままさに事業仕分けのターゲットになっている「国の補助金事業」だ。大型の公共工事になるため建設系の支持母体をもつ地元政治家にとっては悲願と言える事業であることも間違いない。実際に建設が決まるまでには様々なドラマがあるのだろうが、いずれにしても地元自治体、政治家と国交省の思惑が一致して巨額の税金が投入されるのである。いわゆる典型的な政官業癒着のトライアングルというヤツ。空港開設後の利用に関して、不安があったとしても「JALにやらせればよい」というような安易な考えが国交省になかったとはいえまい。
 JAL低迷の一因が、そのような不採算路線に強制的に定期便を飛ばさなければならなかったことにあるとすれば、JAL再建の責任は、国はもちろんそのような赤字空港を「おねだり」した地元にもあるのではないだろうか。その責任は地元自治体、ひいては地元住民も負うべきものである。それが民主主義における「主権者」の責任というものだ。だからこそ空港建設などがからむ選挙では、とりわけ慎重な投票をしなければならないのだ。ツケはすべて国民にまわってくるのだから。
 単純な「自己責任論」で片付けられることのないよう、しっかりとした議論をして欲しい。